気になるこの人~藤原詮子 彼女は定子が嫌いだったのか? | 前世はきっと平安貴族

前世はきっと平安貴族

歴史大好き!とりわけ平安時代をこよなく愛する私です。
こんなに惹かれる理由はきっと前世で生きていたからにちがいない。
源氏物語ネタをメインに、色々思っている事を書いてゆきます。あらすじとか一切書かずに自分の思いだけを強引に綴ってゆきますので悪しからず〜。

これから書く事は

あくまでも私見であります。

 

少しばかりかじった浅い知識で

未熟者が寝言を言っていると思って

どうかお許しいただきたい。

 

 

==============

 

 

「光る君へ」では回を追うごとに

定子を見つめる詮子のまなざしが

冷ややかになって来ているが、

 

その理由が

 

嫉妬

 

しっと・・・

 

shit・・・(失礼!)

 

 

詮子は夫・円融天皇から

愛されなかった。

それゆえ1人息子の一条にかける

思いは相当強かった。

そこに定子が入内し、

そのファミリーが

一条を取り巻いた事で、

詮子は愛する息子を取られたと

危機感を持った。

家庭運に恵まれなかった詮子は

幸福な結婚生活を送る定子に対し

嫉妬の気持ちを抑えられない。

 

とこんな感じ?

 

 

私は詮子という女性が

嫌いではないので、率直に

言わせてもらうと彼女は

「シロ」だ。

 

彼女はそんな低次元で

生きた女では無い。

 

 

大体「家庭運に恵まれる」って

どういう事よ?

 

パパとママがラブラブでぇ~

あったかくて幸せなホームでぇ~

子どもたちもすくすく育ってぇ~

 

などという現代人の感覚で

この問題を捉えてはいけない。

 

 

そもそも詮子が入内した時、

円融帝にはすでに中宮・媓子と

女御・遵子がいた。

 

遅れてやって来た詮子は

どうしたって分が悪い。

 

それでも兼家の娘という

意地とプライドがあっただろうから

「とにかく負けたくない!」

とは思っていただろう。

 

 

この時代「入内するという事」は

とんでもなく大きな意味を

持っていた。

 

一族の繁栄のため

何が何でも帝を振り向かせて

願わくは男子を授かり

皇位を継承させる事

 

詮子も円融の元に入内する際は

自分に与えられた使命を

嫌というほどすり込まれたに

違いない。

 

実際、同母姉の超子が冷泉天皇の

元に入内して3人の皇子を

産んでいるというお手本が

あったわけだし。

 

よく「帝のご寵愛を得る」

などと言うが、それは現代の

愛だの恋だのとは明らかに

次元が違うレベルなのだ。

 

 

そもそも詮子だって、

心から愛される事など期待して

いなかったかもしれない。

 

幸い円融はまだ子宝には

恵まれていなかった。

 

だから極端な話、帝に対しては

「こっちに来てやるべき事を

やってくれたらそれでいい」

ぐらいの気持ちだったかも。

 

だって、そのために入内

したのだから。

 

 

しかし詮子と円融天皇は

本当に夫婦仲が良くなかったの

だろうか?

 

意外とうまくいっていたのに

諸処の事情によって円融が遵子を

中宮にしちゃったもんだから

夫婦仲が決裂!という可能性も。

 

ほら「可愛さ余って憎さ百倍」

っていうし。

 

 

しかし何といっても一条は

円融にとってただ1人の男子。

 

円融としても我が子に皇統を

継がせたいという気持ちは強く、

そこにつけ込んだのが兼家。

 

兼家がどんな手段で一条天皇の

即位を強行したかについては割愛する

として、とにかく詮子は国母と

なって権力の座に。

 

自身に与えられたミッションを

見事に成し遂げた詮子。

 

 

しかしまだまだ安心は出来ない。

 

夫・円融は当時の皇統から見れば

傍流だった。

 

その一粒種である息子・一条を

立派な天皇にし、貴族社会には

何としても正当性を認めさせる

必要がある。

 

そう考えた詮子が一条に対して

必要以上に干渉したのも

当然と言えば当然だった。

 

 

そもそも詮子とは

「面倒見の良い肝っ玉母さん」

的な女性であった。

 

弟・道長の人生に何かと

便宜を図ってその栄華の道への

手助けをしたり

 

安和の変で犠牲になった源高明の

娘・明子を引き取って世話をしたり

 

定子が難産で崩御したのちには

その遺児・媄子内親王を手元で

養育したりしている。

 

怨霊封じのためとの見方もあるが

それを実際に行動に表しただけでも

思慮深さと行動力とを兼ね備えた

スケールの大きな女性だったと

私は思う。

 

 

さて、そんな人間が果たして

「嫉妬」だけで見苦しいさまを

見せるだろうか?

 

現代でも「息子の嫁が気に食わない」

という姑は星の数ほどいるが

そういう姑はどんな素晴らしい女性が

来てくれても文句を言うものなのだ。

 

私は詮子がそうだったとは

どうしても思えない。

 

これが藤原氏以外の氏族出身の妃

だったらともかく、定子は

他ならぬ兄・道隆の娘であり、

れっきとした兼家(九条流)ファミリーの

一員なのだ。

 

一条と我が実家のためにも

ファミリーで固めて結束を高める

のはむしろ望ましい事ではないか。

 

それなのに何故・・・?

 

 

詮子は道隆とあまり仲が良く

なかったという説もある。

 

そして道隆が強引に定子を中宮に

した事に不満があった、と。

 

まぁ分からなくもない。

 

しかし、あの時点で一体誰が

のちの歴史を想像する事が

出来たであろうか?

 

 

・関白道隆の死

 

・道長の台頭

 

・中関白家の没落

 

・彰子の入内

 

・定子の崩御

 

 

少なくとも「光る君へ」第14回の

時点では一条の妃は定子以外には

有り得ないし、ましてや彰子の

入内などまだまだ想像もつかない状態で

あっただろう。

 

なので詮子が単なる嫉妬で

定子に冷たい態度を取るのは

おかしな話なのだ。

 

重ねて言う。

詮子はそんな低次元の女ではない。

 

 

 

しかし、ここへ来て私にはひとつの

疑惑が湧き起こった・・・!

 

それは

 

定子の母が高階貴子

 

という問題だ。

 

 

命よりも大事な

愛息・一条のために

最高の姫君を!

 

 

詮子がそう考えても不思議ではない。

 

 

定子・・・あの子はいい子だが

あの子には忌まわしき高階家の

血が流れている

 

もし定子が皇子を産んでその子が

帝位に就いたならば、高階一族は

どんなに得意になるであろうか

 

そんな事はあってはならない

 

藤原家こそが帝の外戚として

君臨すべきなのだ

 

できれば一条には

もっと血筋の良い

高貴な姫君を迎えて

その血を伝えて行ってほしい

 

(詮子の心の中を勝手に想像して

みました)

 

 

詮子は定子を嫌いでは無かった。

 

もしかしたらその母・高階貴子の

事も嫌いでは無かったかもしれない。

 

しかし、平安時代は

とにかく家柄と身分が絶対

 

どんなに相手が良い人で

気が合ったとしても

家の存続となると話は別。

 

好き嫌いよりも「の倫理」が

優先されるのだ。

 

そう考えると、のちに彰子の入内を

詮子が積極的に勧めたというのも

合点がいく。

 

彰子は皇室の血をひいて

いるから。

 

詮子にとっては申し分のない

嫁だったでしょう。

 

 

==============

 

 

というのが私の考えです。

 

もちろん推測の域を出ないし

全く的外れな解釈に過ぎないかも

しれませんが、

 

「ふ~ん、こんな風に思ってるんだ」

 

とか、

 

「へ~、そんな考えもあるのね」

 

とまぁ生温かい目で

見ていただけると幸せです。

 

 

【追記】

余談ですが、上に挙げた

詮子の同母姉・超子について

この人は偉かったなぁ~と

思いますね。

 

狂気の帝と謳われた冷泉天皇に

入内するなんてとんでもなく

嫌だったでしょうに、そんな中で

3男1女を産むなんて。

(うち1人は三条天皇として即位)

 

思えば彼女の業績が

兼家の栄華への種をまいたと

言えなくもないですよね?

 

ちなみに彼女、とても不思議な

亡くなり方をしていまして、

”庚申待ち”という「寝てはいけない夜」

の明け方、脇息にもたれかかったまま

眠るように息を引き取っていたと

いう話です。

 

何だったんでしょうね〜?

長年のストレスで心不全を起こした

とか?

 

その事があって以来、兼家一門では

庚申の催しをする事は

無くなったそうな。

 

 

あれ?

庚申待ちの夜、と言えば

「光る君へ」で

倫子と三郎が結ばれた夜・・・?

 

はは~んそうか、

三郎のところでは庚申待ちは

関係無いから、自由に出歩いて

まひろと逢い引きはするわ、

喧嘩別れした腹いせに倫子の元へ

行くわと好き勝手出来たんだね。

 

 

思わぬところに話が繋がってしまった。