教職員の仕事を考える
私の視点
【第2回】アフガンの悲劇に学ぶ  宮里三義

失わなくてもよい生命を、無意味に昨日までどれほど失ってきたことか。もう何十回となく同じことが世界の各地で繰り返されてきた。

二十一世紀を新しい共生の時代と言うのなら、こんなこともうやめてくれと叫びたい。
 被害に遭って路頭に迷い苦しみ、生命を脅かされるのは, いつの時代も権力中枢にいる者でなく,一般 市民とりわけ弱い立場にいる子供たちや女性と老人である。国連やアフガン各派で曲がりなりにも、暫定政権へのニュースを聞いて、ほっとし素直によかったと思った。もう子供たちや人々が空爆と銃で殺される不安にあうことまず無くなるだろうから。アフガンの悲劇は、この子供たちや青年らが生まれたときから二十年にわたる内乱と戦争のなかで育ってきた事だ。日本でも通 り魔事件が、子供たちに与える精神的ショックは、長い間ケア-されても癒されることは難しいそうだが、アフガンのこの子らのショックはその何十倍にも匹敵するものを受けているだろう。この子供らへの心のケア-の働きなども、これを読んでくれた人たちの中から出てきてくれればどんなにか心が癒される。
  この国の悲劇は、もとはと云えば旧ソ連との戦争のあと、国内が内乱状態にあったとき国際社会がこの国に対し、無関心で手だての支援をせず見捨てたことにあるこれがアルカイダやタリバンを育てる土壌をつくったと僕は思う。これらから学べば、通 リ魔事件や交通事故などを「私には関係ない」と無関心であった人が、ある日その被害者になってはじめて無関心に悔やむのと似ている、自分にも関わりがあるのだ。
  アルカイダの起こした行動が、世界や日本の経済はもちろん自分の職場や仕事にまでマイナスの大きな影響を与えてくる事に気がついた。国際支援や協力は私と関係ないと思っていたのが、自分の生活まで関わってくるのを知らされた。情けは人の為ならず、あすはわが身になる。国と国や人と人の貧困の格差や拡大は決して 豊かな国の人々にも幸せをもたらすものでないこと教えてくれている。


日教組の意見は本当にすばらしいものです

その思いをチベットと東トルキスタンにも向けてください。
民族浄化や虐殺が21世紀の現在において50年以上にわたり行われ続けています。

平和的に主張しているチベットのダライ・ラマ14世を暴力的なアルカイダと同列のように扱うことは失礼なことかもしれませんが、豊かな精神の日教組であれば今子供たちに何を伝えるべきか理解しているはずです。
目を背けないでください。