親が子供にしてあげられる最大のことは何だろうか。私は教育だと考えている。

 

正確に言うと,教育の機会を与えてあげることだと考えている。前にもブログで書いたけれど,うちの親は両親そろってカルト宗教を信奉していた。その宗教では,もうすぐ終末が訪れるから,今は世俗の教育や仕事などにうつつを抜かさず,宗教活動をして,週末を生き残る努力をすることに主眼が置かれていた。

 

私は,親に言われるがまま,カルト宗教に没頭し,小学6年生で神に献身し正式な信者となった。いわゆる模範的な信者だったと思う。しかし同時に,うちの親は何を思ったか,私を小5から塾に入れ,私立の中学校に受験させた。西日本の片田舎でのことだ。当然宗教の集まりの中でも,かなり不思議がられた。とはいえ,私はそれを補って余りある程度に模範的に活動し,宗教内部でもそれなりの役割を得ていた。

 

もちろん,学業と宗教活動との両立は大変で,高校受験時も,大学受験時もそれはそれは大変だった記憶がある。でも,親が周りの反対を押し切ってまで,またどちらかというと貧しい暮らしの中で学費を出してくれていることは理解していた。おかげで無事に国公立大学に進学することができた。実は,あまりにも貧乏だったおかげで,大学時代には国から経済的困窮者向けの学費援助が出ていたくらいだ。

 

学費援助を得るためには,単位数を単位評価(優・良・可)で割った成績が一定以上でなくてはならず,理系の必修は意外とギリギリになるおそれもあったことから,大学時代は,バイトの傍ら,とにかくいろいろな授業を取りまくっていた。その中にはおおよそ専攻とは関係のない哲学・宗教学とか法学,教育学などがあり,当時の私は夢中になってそれらを吸収していった。

 

もちろん,現在の仕事に役立っているコンピューターの知識や,理数系の知識もあるけれど,それ以上に社会の仕組みや自分が没頭していたカルト宗教についてもメタ認知を得ることができ,その結果としてカルト宗教から無事に脱出することができたのだった。さらに,無事にブラックながらも一般企業に就職し,経済的にも親からの自立をすることもできた。

 

この話には後日談がある。実はカルト宗教に没頭していたかに見えた父親は途中からかなり冷めていたそうだ。そして,教団内の若者が学も手に職も得ずに苦労している実態を見て,わが子には最低限独り立ちできるだけの教育を施したいと思っていたのだという。しかも父親は学歴こそないものの好奇心が人一倍強く,私を学者にしたいと思っていたそうだ。

 

自分も子供を授かり,子供たちにはいろいろな体験をさせたいと思ってきた。が,このコロナ禍だ。自分の原体験として何を経験してきたかが,その人の人生を大きく左右する。イノベーションを起こすためには,社会課題をどれだけ自分の問題としてとらえられるか,の深さがものをいう。そこは,どれだけ頭で考えても体験とは雲泥の差である。であれば,そうした体験を重視してくれる環境を用意してあげたい。

 

実は,自分が私立の進学校に通ったし,いくつかの進学校を見学した中でいうと,一般的なイメージとは異なり,進学校は勉強一辺倒ということは少ない。もちろん,勉強量は多いが,それと同じくらい体験型の授業を大事にしている。理科の実験,フィールドワーク,情操教育としての文化や自然学習などだ。学習指導要領の範囲外での時間の使い方ができたり,それをすることによって将来の進学実績=学校の評判につながることがわかっているからなのだろう。そういえば,中学時代に私立中学校の先生がこんなたとえをしていた。私立中学校は高速道路のようなものだ。目的地の近くまで,一番早い道のりを提供することはできる。だけど,運転という努力をしなければ目的地には着けないし,高速道路でも事故は起こるし渋滞も起こる。高速道路をゆっくり走る人もいる。高速道路だけではいけない場所もある。だけど,高速を使わなくても目的地には着ける。私立中学校でも,公立の中学校でも,なりたいものになれる可能性はすべての子供たちが持っていると,教員である自分は信じている。

 

サラリーマンの給料では,私立に行かせるのは正直辛い。しかし,私が手にしたような自由を,子供たちも手に入れてほしいから,子供たちの教育の機会を提供していきたい。