米銀行 社員十数人解雇 ブルシット・ジョブ | デブリマンXの行方

デブリマンXの行方

いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

 

 

先日読んだ「ブルシット・ジョブ」の本に書かれていたようなことが、どうやら現実にあったようで、その尻尾を掴まれたようだ。

まあ、ブルシット・ジョブの定義は「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。」なので、解雇された社員達がこの仕事を「勤務時間中にやりたい放題してお金が貰える天職」と思ってた場合は異なるわけだが。

 

この事件の面白いところは、「ブルシット・ジョブ」より話が進んでいるところ。つまり、ブルシット・ジョブ+テレワークの合わせ技が使用されているところである。ブルシット・ジョブの苦しみの1つだった「働いているフリ」が、職場が自宅であることと、「マウスムーバー」や「マウスジグラー」といった機器を使用することで解消され、その苦しみから救われたというところである。まあ、やっていることがやっていることなので、ブルシットなのは社員の方なんだけれども。

 

ちなみに、「ブルシット・ジョブ」の本によると、FIREの仕事はブルシット・ジョブになりやすいらしい。このFIREは最近流行の経済的自立(Financial Independence)+早期退職(Retire Early)=FIREではなく、金融(Finance)+IT(Information)+不動産(Real Estate)=FIREである。ようするに、システムがしっかりしていれば勝手にお金が増えやすい仕事ということだ。それだけ聞くと美味しい話に思えるが、それらをブルシット・ジョブと呼んでいるのは向上心のあるエリート層なので、庶民の視点からはなんとも言えない。ただ、どんなに楽な仕事でも、そこに努めている人間の格式は大切なのだろうと思う。日本で例えるなら、社員を東大生で固め、「エリートの多い優良企業」というブランドを作ってはいるものの、内部的には社員が余計なことをしないことだけを強いている会社といったところか。そんな会社が実在するのかは知らないが、「東大生ブランドを買う」という庶民感覚では意味不明な雇用世界があってもおかしくはないだろうなとは思う。