やりたいことと能力の方針を決める | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

今のわたしが仕事に求めているのは、仕事をしているという実感である。

保育士の仕事は能力の不適正と不満の多さで仕事をしているというよりも修行をしているに近い。仕事というのはやるべきことをやって、その成果として報酬を得ることが正常な流れだと思うが、今の仕事ははっきり言って何をしているのかよく分からなくなってしまっている。わたしは考え方が0か1のデジタル思考なので、ゴールが定まっていないと仕事をした実感が湧かないようだ。ゴールはなく、業務の全てが曖昧な過程でしかない保育士の仕事は、ボランティアとしてはいいのだろうが、給与を貰って責任を持って取り組むというのは困難なようだ。また、自分が正しいのかを常に疑ってしまう性分であるため、正解が明確なものでないと安心できない。現在の仕事は、先輩保育士の脳内当てゲームになっている側面があり、わたしの正答率は極めて低い。おそらく、認知と価値観のズレがとても大きいのだと思う。性差は当然あるが、根本的に育ちが違うのだろう。

 

仕事をしている実感という曖昧なもので就活をするのは大変困難なので、具体的に詰めていかなくてはいけない。1番重視したいのは福利厚生である。仕事に仕事をしている実感を求めてはいるが、それでも仕事は目的になりえないので、プライベートの充実を求めたい。できれば趣味感覚で副業をすることで新しい知識を得つつ、個人経営ができるくらいの能力を身につけたいところである。次の職場が安住の地になる可能性は、おそらく低い。仮にホワイト企業であったとしても、わたしがこの1年で身につけた緊張感がある限り、常在戦場の四面楚歌からは逃れることができないだろう。アメリカだとFIREという早期退職がブームになっているという噂はあるが、そんなことはもはや想像もつかない。今のわたしの能力では、自力で暇な時間を活用することなど到底できないからだ。わたしにとって至福の時は何もしなくて何も考えていない状態。要するに、まどろんでいる時である。それはよほど無茶な仕事を選ばない限りは簡単に手に入る幸福である。なので、無茶な仕事だけは絶対に避けたい。もっとも、この程度の幸福しか持ち合わせていないから、社会に適応できていないのかもしれないが。