追い詰められた時の行動 真の実力 | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

「運も実力のうち」ということわざがある。

運は全てのことに関係しており、運を除外して実力を語ることはできない。

同じ実力を持った者同士でも、その日のコンディションによってその時の優劣が決まる。試験であれば、その当日のその試験の中で最高の実力を発揮することがベストだが、運が悪ければそれも叶わない。つまり、運は大切である。

 

運は大切であるが、それをコントロールすることはできない。そのため、多くの場合、運気の浮き沈みに晒されることになる。わたしは、この浮き沈みの中で、沈んでいる時に発揮される実力こそ、その人の真の実力と言えるのではないかと考える。

 

わたしは麻雀をするのが好きだが、麻雀は突き詰めると運ゲーに落ち着く。麻雀の哲学や思想は色々あり、これを語り合うとだいたい喧嘩に発展するのだが、誰がなんと言おうと麻雀は運ゲーの域を出ないと確信している。役も分からないほどの初心者であるならともかく、最低限のルールが分かっていれば、完全な初心者であっても世界チャンピオンに勝てる可能性がある。それが麻雀だ。しかし、何百回、何千回と試合を重ねていくと、徐々に世界チャンピオンの方が優位になっていく。なぜなら、初心者は運が悪いと色々試し、自分を見失うが、世界チャンピオンは運が悪い時であっても、自分を見失うことなくその時できる最高のパフォーマンスを追求できるからだ。

 

なぜこんな話をしたのかというと、わたしのプライベートの話であるが、友人の結婚式への参加をキャンセルしたからである。キャンセルの理由は、保育園の行事(発表会)があったため。要するにスケジュール管理ミスである。どちらを優先するべきか悩んだが、色々な要素を総合的に判断した結果、友人の結婚式への参加をキャンセルする方が良いと判断した。普段保育園の悪口ばかり書いている人間ではあるが、自分のミスは自分のミスである。ここで筋を通すことができなければ、ただのクズに成り下がってしまう。それだけは絶対に避けなくてはならない。

 

常に精神的に追い詰められているとはいえ、やはりそれも自分の都合。それを管理できなければ社会人であり続けることはできない。そう考えてしまうこと自体、完璧主義の性質が出ているのかもしれないが、気楽に考えることはできない。今回の件では、本来の祝儀を3万円とするところ、7万円に増額することで折り合いを付けようと考えた。4万円はお詫びの気持ちである以上に、今回の件の授業料である。精神的に追い詰められていても、守らなくてはいけないラインはある。それを守り続ければ、再起不能にはならないことを信じたい。