私が住むマンションは3階建ての分譲。各階には2つしか住居がなく、合計で6世帯の小さなマンションだ。
3階は2つとも1人暮らしのおばあさんYさんとRさん。
2階は我が家と、向かいに4人家族のAさん。
1階はおばあさんと娘さん2人暮らしのUさん。向かいは空き部屋だ。
ある日3階のYさんが訪ねてきた。
「数日後に1階の空き家に新しい人が越してくるから仲良くしてね」とのこと。
普通こういう知らせはオーナーから来るものだが、Yさんはオーナーからの信頼が厚く、このマンションのほとんどを任されている。
明るく人当たりも良いYさんは住人みんなが頼りにしている存在なのだ。
数日後、どうやら新しい人が越して来たらしい。
しかし全く会わない。挨拶にも来ない。
賃貸マンションならともかく、6世帯しか無い分譲マンションなのだから仲良くしたいのに…私は残念だった。
みんなが家族みたいに仲良くしているマンションに、こういう人が来るとなんだか冷めてしまう。
Yさんは「Tさんっていう若い夫婦なの。ご主人は夜に働く人みたいで、昼間に挨拶は来られないのかもね。でもまぁ若い人達は挨拶周りとか自体分からないかもね。」と笑う。
そんなことはない。私達だって若い夫婦だけど、菓子を持ってキチンと挨拶する常識くらいはあった。こういう非常識な人達のせいで「最近の若い人達は」なんて言われるのだ。
しばらくTさんという人達にモンモンとしていたある日。
1歳の娘と買い出しに行こうとすると、Tさんの家から女性が出てきた。
私は「こっちから挨拶すんのもシャクだな…」とは思いつつ「いやいや、親しくなるには自分からいかなきゃ」と、明るく挨拶した。
しかし女性はペコリと頭を下げただけだった。
さすがに腹が立った。
でも娘が突然ギャーッと泣き出したので、そのままスルーした。
娘をあやしている間に女性は私達の横を通り過ぎた。
その時に、女性の顔から首にかけてヤケドの痕があるのに気付いた。
長い茶髪で帽子にマスクをして隠していても分かるくらい痛々しいもの…。
買い物中、私は考えていた。もしかして、ヤケド痕を見せたくないから挨拶に来なかったのかもしれない。旦那さんと一緒ならまだしも、1人じゃ嫌だろうし…
そう思ったらモヤモヤも消えた。誰だって見せたくないはずだもの。
次の日の夕方。チャイムが鳴って玄関のドアを開けた。
そこには私と同じくらいの若い男女が立っていた。
「下に越して来ましたTです。妻の妹が事故で入院して、ご挨拶が遅れてしまって…あの、つまらない物ですが、妻の故郷の名物です」
「…わざわざ有り難うございます…」
私はポカンとしたまま、きりたんぽを受け取った。
男性が色々と喋っているが、私には聞こえなかった。だって目の前にいる男性の横に立っている女性が、この前私が会った女性と違っていたから。
ドアを閉めてから考えた。
あの男女がTさん夫婦なのは確かだ。じゃあ私が見たあのヤケドの女性は誰?
私の中に2つの恐怖が沸き上がってきた。
1つはヤケドの女性がストーカーとかの場合。
もう1つは…最も考えたくなかったが「私しか見えなかった存在」の場合。
あの女性に会った時に娘が突然ギャーッと泣いたのも気になる。
私はその足でYさん宅に行った。そして全てを話してみた。
Yさんは「みんなには絶対に言わないでね」と言い、あの空き部屋だった場所であったコトを話してくれた。
30年くらい前に、その家にはTさんと同じように若い夫婦が住んでいた。
しばらくすると、旦那は不倫をし、ある日不倫相手が家に来た。その時点では「私はご主人の職場の部下で、必要な書類を届けに来た」と言ったらしい。
奥さんは快く家に迎え入れ、女と一緒に旦那の好きな料理を作ることに。
その途中、女は奥さんに不倫の事実を打ち明け、別れてくれと言った。奥さんは拒否した。そこで逆上した女が揚げ物の油を奥さんにかけたのだという。
すぐに女は逃げ、奥さんは自分で救急車を呼び、命に別状は無かったがヤケド痕が残り、結局旦那は「醜い」と奥さんを捨て、女の方に行ってしまい、奥さんは実家の海で身投げして自殺。
「あなた(私)は誰にでも優しいから、あなたに気付いて欲しかったのかもねぇ…亡くなった子もね、あなたみたいに明るくて優しくて、本当にいい子だったの」と、Yさんは涙ぐんでいた。
私には何も出来ない。でもただただ、無念を忘れて上に昇って行くことを祈らずにはいられない。