愛国女子。 一瞬一生を輝かせて・・・♡ -4ページ目

愛国女子。 一瞬一生を輝かせて・・・♡

ひとりでも多くの人が、日本の素晴らしさに気付き、感謝し、一瞬一生を輝かせながら生きられますように・・・♡

ひとつ前の記事でも書きましたが、

本当に【公意識】を教えることは大切だと思います。

最近、公意識の欠片も無い人々が多いな~と思います。



他人に迷惑をかけること=悪いこと
他人に迷惑をかけないこと=良いこと



では、他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいのか?

この基準が入るか入らないかが、一流国と

ただの三流国の違いだと思います。


これがまかり通れば、やがてとんでもないことになると思います。


例えば、支那人犯罪者の、犯罪に対する意識は、

被害者が出ないタイプの犯罪は、悪いことだと

思ってないそうです。

(元警視庁北京語通訳捜査官の坂東先生が仰ってました)

つまり、覚せい剤所持や使用、

入管法違反(オーバーステイ)などは、

誰かに迷惑かけてないんだから、別にいいじゃん!

という理屈になるそうです。

他人に迷惑さえかけなければ、全部OK!みたいな世の中じゃ、

そこら辺の三流国と同レベルです。



電車の中で化粧をする、ものを食べる、

座席じゃないところにしゃがむ・・・

親もそのまた親から教育されてないから、

子どもに教えることすら出来ない状況になっていますね。

この公意識を身につけることが、

日本人を日本人たらしめるのに一番大切なことだと思います。


photo:01



確かに、混雑している電車ではありません。
しかし、このようにだらしなく寝っ転がってるのは
恥ずかしいんだよ?よその人が見てるよ?
と教えるのが親の役目でしょ。

photo:02



これも、両親は知らんぷり。
確かにこの子、ゲームやってますが、
別に大きな音を出してるわけではありませんでした。
だけど、それって美しい立ち居振る舞いなのか?
ということですよね。
公意識、とっても大切です!

photo:03



この人なんか、本当に具合が悪いのかなと思って、
この後私は席に座れたんですが声かけて譲ろうとしました。
けど、断わってきました。
なら、みっともないからちゃんと立っててね!
って言いたかったです。
日本人は、優しいとか、親切だとか、正義正しいとか、

モラルがあるとか、道徳心が高いとか、

いろいろと外国人から言われますよね。

東日本大震災での被災者の方々の態度や、

帰宅困難者の立ち居振る舞いなども、

海外メディアから賞賛の嵐でした。

なぜそのように言われるのか、

そのように評価される理由は何なのか?と突き詰めて考えた時、

私はひとつの結論に行き着きました。




それは、『良いか・悪いか』よりももっとレベルの高い、

【美しいか・美しくないか】という判断基準を

持っているからではないか思いました。




よく子どもの頃に、両親や祖父母に、

【お天道様に顔を向けて外を歩けるような生き方をしなさい】

と言われませんでしたか?

私はこれが亡くなったら日本は日本じゃなくなると言えると思います。

まさに三島由紀夫が言ったように、無機質な、からっぽな、

ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、

ある経済大国が極東の一角に残ると思います。




例えば、支那や朝鮮(韓国)の異常性は、もはや特に驚かないとしても、

2012年に発生した、イタリアの客船座礁事故で、

船長が真っ先に逃げ出した事件とか、

2005年、アメリカルイジアナ州でハリケーン・カトリーナが

発生した際、住民たちが、ハリケーンの被害にあったスーパーなどで

略奪行為を働いた事件などは、

”欧米人は常識人である”と思い込んでいた(欧米コンプレックス?)人々も

びっくりしたのではないでしょうか?

しかもカトリーナの際の略奪行為は、いかにもギャング的な

不良が行ったのではなく、普通の市民・良識的な人々が、

家族みんなでスーパーを襲いに行ったんです。

しかも、「悪いことしてやろう!」という感じではなく、

「わーい!ラッキー☆」みたいな感じで、明るく楽しそうに、

「これ前から欲しかったんだよね~♫」といった雰囲気だったそうです。




一般的な日本人は、欧米人は常識人だと思ってますし、

(日教組教育から覚醒してる人は、欧米人が酷いのを知っていますが、

未だ頭の中が毒された人は、欧米こそ素晴らしくて

日本はまだまだだと思ってる)

日本より優れていると信じていて、憧れていますよね?

しかし、そんな常識人だと信じていた欧米人ですら、

こういった非常事態には暴徒となるし、自分だけ助かりたい

というような行動に出るのです。

あれだけ熱心に”素晴らしい宗教”を信じていて、

さぞ道徳心の高い人だと思ったら、あららら~?という感じですよね?




やはり子どもの頃からの教育はとても重要だと思います。

それも、【良いか・悪いか】を教えた上で、

さらにそれを昇華させ、【ではそれは美しいか・美しくないか】

のレベルにまで引き上げることをやってあげるのが、

親の努めであり責任だと思います。

教育と言っても、どの学校に入れるかという話ではなくて、

各家庭で、親が子どもに何を見せてあげるのか?

伝えて行くべきなのか?が一番大切なのです。




例えば、その”美しさという基準”を持っていれば、ビジネスの場などでも、

取引相手を見誤ることは無いと思います。

『法律を守ってお金儲けをしている。でもそれって美しいお金の儲け方なの?』

この判断基準を是非持って仕事をして行きたいものです。





私自身の話をします。

私は、田舎で生まれ育っています。

生活するのに車が不可欠な地域です。

ですから、小さい頃から親が運転する車に乗っていましたが、

車の中というのは”プライベート空間”です。

何をしてもOKですね。

ですが、時々電車などに乗ることもありました。

そんな時は、こういう風に言われました。

『ほら、よその人も見てるでしょ。だからちゃんとしててね。

恥ずかしい格好しないでね。』

私は、親に連れられて他人の家に訪問しても、

だだをこねたり、早く帰ろうよと言ったりする

わがままな子どもではなかったですが、

親がこのように【公意識】を植え付けてくれたことに感謝しています。




このように、『良いこと・悪いこと』

そして、良かったとしたら、次にそれは

『美しいのか・美しくないのか』

『お天道様に顔向け出来るのか』

『人様、他所様、世間様が見てるよ』

というレベルの高い民度・道徳心を持つ国民でありたいし、

自分に子どもが出来たら、この部分をしっかりと教えて行きたいと思っています。

今日は、【本末転倒】の語源について。




突然ですが、学問を2分類しろと言われたら、何と答えますか?

おそらく文系と理系?って答えるんじゃないですか?

私もそうでした(笑)

実は、昔の人は、【本学】と【末学】という分類をしていたそうです。



本学=生き方を考え、より良い生き方を目指す

末学=生きて行くための手段や技術を体得する
(農業やってる人なら種の蒔き方、商売やってる人ならそろばんの弾き方など)






もともとは、本学が上位にくるもので、末学は本学に続くものだったそうです。

なのに、生活の手段ばかり学んでる人は、末学重視=つまり本末転倒だ。

という意味だったそうです。





しかし私たち日本人は、戦後、本学をGHQによって奪われました。

学んではいけないものとされてしまいました。

具体的にどうやってかと言うと、『古典』を奪われました。

まだ現在でもかろうじて残ってはいるけど、戦前と比べたら、

はるかに授業で扱わなくなったそうです。




なぜ、古典なのかと言うと、古典は、古(いにしえ)の典(のり)です。

古典は、立派な先人たちの生き方が書かれていたりなど、

道徳的な要素も多く含まれていました。

古典を学ぶことによって、そうした素晴らしい生き方について

考える教材としていたのに、意味が無いからと言って

(←本当は素晴らしいものだと分かっているからこそ、

日本人に学ばせたくない、日本人をバカにしたいから)、古典を切り捨てたそうです。



だから、私たちは、生きて行くための生活の手段ばかり追いかけて、

土台となる部分が抜け落ちてるなと思います。

私ももちろんそうでした。

高校生くらいの時に、「どういう生き方がしたいの?」って聞かれても、

答えられなかったと思います。

考えてなかった。




もう戦争が終わって約70年が過ぎようとしています。

そろそろ昔の日本の素晴らしい教育を取り戻していいのではないでしょうか?