自己紹介(18歳〜20歳の私) | 子どものいない人生を100倍楽しむ♡スピリチュアルカウンセラーのあのブログ

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心屋認定カウンセラー
かっちゃんです♡




高校2年のとき
聴覚に障がいのある友達と出会って
手話や点字を習ったことがきっかけで



今まで保育士になりたいと思ってた私が
福祉の仕事に興味をもつようになる



福祉の専門学校からの合格通知に
学費が高いから払えない!



お母さんの彼氏(当時60歳くらい)
の面倒もみれんのに介護の仕事なんか
あんたにできるんね!



とお母さんから言われて
喧嘩になり



その勢いで専門学校の入学を
取り消したいと学校に電話した



そのことを
お母さんに伝えたら
次の日入学金だけは払ってくれた



新しいお家の近くで募集してたと
お母さんの彼氏が見つけてきた
ガソリンスタンドでアルバイトをしながら
学校に通い始めた


その時そこで働いてた
彼(元夫)と出会った


彼のお誕生日の日に
たまたま休みだった私を誘ってくれて
一緒に彼の地元に遊びに行ったことから


ほとんど休みがない彼に代わって
部屋の掃除や買い物をして欲しいと
頼まれるようになり


家に居場所がなかった私は
時々行くようになった



ある日友達とごはんを食べに行って
帰りが遅くなってしまい
家に帰るのがどうしても怖くて
彼の家に泊まらせてもらうことになった



そしたら
次の日の朝早くに
お母さんとお母さんの彼氏が
いきなり家に来た



その日は学校だったから
とりあえず学校に行けと言われて
行ったけど



三人で何を話してるのか
これからどうなるのか不安で
そのことばかり考えてた



あのあとお母さんの彼氏から
足一本折っちゃろうか!
って言われたと
ものすごく怒ってたけど



彼から一度家に帰った方がいいと
言われたこともあり
私は家に戻った



ちゃんとお母さんとお母さんの彼氏を
説得できたら彼がここに住めばいいと
言ってくれた



でもお母さんと暮らしたいという
思いが強くてなかなか決断ができなかった



しかしお母さんの彼氏からの嫌がらせは
なくなることはなく
溝も深まる一方だった



真冬に部屋のストーブを取り上げられたり
タイマーで部屋の電気がつく時間を
制限されたり
べちゃべちゃになった洗濯物を
わざわざ出して置かれてるのを見た時は
思わず泣いてしまった



妹はいろんなものを買ってもらって
全部やってもらって
仲良く楽しそうにしてて



なんで私だけこんな目に合うんだろう…
と思うと悔しくて悲しかった



お母さんのいうように
うまく持ち上げて機嫌をとったり
悪くなくても謝ったりすることができない
自分がすごく嫌で仕方なかったけど
変えることができなかった



お母さんに話すと
もっとひどくなると思って
ますます孤立していった



もう家族のことは
誰も信じられなくなってたんだ
って気づいた



そんなに気に入らんのんだったら
あんたが出て行きんさい!
とお母さんから言われたショックもあり



逃げるように家を出た



彼と一緒に暮らすようになってからも
私が悪いから上手くいかなかったという
教訓を活かし



今度は
彼の機嫌を悪くしないよう
言うことをちゃんと聞いて
悪くなくても謝ろうと心に決めた



忘れずにちゃんと守れるよう
自分で決めたルールを紙に書いて
毎日それを見ながら過ごしたりもした



彼はキレると
凹むくらい壁を殴ることがあったけど



とにかく謝り続けると
最後は許してくれたし
普段はとても優しかった



二人分の食費を3万もらい



制服代や教科書代は
小学生の時からコツコツ定額預金に貯めた
お金を下ろし



あとは奨学金とアルバイトをして
無事に卒業できた



介護の仕事は大変だったけど
認知症のある方のフロアで実習したときの
楽しさが忘れられず



将来は絶対老人ホームで働きたいという
気持ちが強くなった



その年は募集がないと言われて
諦めてたら急に海外青年協力隊に
行くから辞める人がでたとのことで



学生時代に半年間ボランティアで働いた
その老人ホームに就職が決まった




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5月25日島根県松江市
開催します(*'ω'*)



お問い合わせ先は
netherlanddwarfrabbit11@gmail.com