お金持ちの友人に
「思い通りの人生になってんの?」
と、質問しました。
「まあ〜いろいろあって
なかなかそうとは言い難いよね。」
もうすでに一生働かなくても良いほどの
資産を持っているので、思い通りやって
いそうなものですが、そうではない様子です。
「何か問題や悩みがあるってこと?」
すると
「もう年も年だし、
全てのお金を使い切れるわけではないし、
これ以上、欲しいものもないしね。
お金によって選択の幅は広がるし、
誰からも何も言われない自由はあるけど、
人生の全ての悩みが消えるわけではないし、
『全てが思い通り』なんてことがないのは
誰でも同じだと思う。
でも、だから人生は面白いとも言えるけどね。」
だそうです。
これは「お金で愛や幸せは買えない」
みたいなありきたりな安っぽい話ではありません。
人生の中で大切にしている
価値観のことを言っています。
昨日の投稿の
「無駄なことにも意味がある」
に書いた内容にも通じます。
彼の
「思い通りにいかない」には悲壮感などなく
それもゲーム的に楽しんでいるようでした。
それは、大切にしている価値観を
台無しにすることは決してしないので、
思い通りにいかないことでも、
無駄なことでも楽しめるのだと思うのは、
僕と共有できるている価値観だな〜と
再確認できたので、なんだか嬉しい日でした。
「人生で大切にしている
価値観はなんだろう?」
と改めて自分に問いかけてみて
自分軸を再確認してみるのもいいものです。
お読みいただきありがとうございます![]()
なぜか、遠回りさせられることが
日常では頻繁に起こる。
先日、雲行きが怪しかったが
天気予報では「曇り」
雨は降らない様子だったので
傘は持たずに出かけました。
基本的に傘を持つのは面倒なので
降らないならなるべく持ちたくないのです。
すると、駅に着く前に
なんと、雨がポツポツし出したではありませんか。
「なんだよ…降らないんじゃなかったの?」
これは傘は必要かもと思い直し、
家から5分ほど離れてしまっていましたが、
仕方なく家に戻ることにしました。
この時は、時間の無駄を感じ、
「傘を持って出るべきだった!」
と少し、悔やむわけです。
そんなことをブツブツ思いながらUターン。
そして、家に着くと妻が
「これ、持っていかなくてよかったの?」
と、テーブルに置き忘れた大切な書類を
指差すではありませんか!
「!!!!!!!」
なんと、カバンにしまったはずの
絶対に忘れてはいけない書類が
テーブルにあるではありませんか!
傘を持つのが面倒で、持たずに出掛ける。
まもなく、雨がポツポツし出して家に逆戻り
という「無駄」が
僕にとっては、警告的な
必要なプロセスだったのです。
こんなことがよくあります。
無駄にも意味があるのかも?
と思えれば、少々遠回りの道も
楽しめたり、発見があったりするものです。
無駄を楽しめるようになると
自然に無駄は減っていくように思います。
お読みいただきありがとうございます![]()
人生は
「こんなはずじゃなかったのに…」
な、出来事がたくさん起こります。
- 健康に注意していたけど病気
- 頑張ったけど失敗する事業
- 仲良しだった友人の裏切り
- 永遠を誓った結婚の離婚
などがそうですが、
もっと日常で言うならば
相手に投げた言葉に
期待通りの反応をしてくれない
とか
段取りよく準備していたのに
何らかの理由で中止になる
とか
何やら「忙しい」のは
「やりたいこと」
「やるべきこと」
「やらざるを得ないこと」
が混在して、
その時間を全部足すと24時間を超えていて
時間のコントロールができなくなって
きているのかもしれません。
テクノロジーの進化によって
すごい便利な世の中になったのに
ますます時間がない慌ただしさを感じてしまいます。
そう考えると
人生に、本当の意味での「安定」
はないのではないかと思います。
安住の地はもしかしたら
「墓の中」なのかもしれません。
さらに考えると、
何は無くとも心穏やかに
過ごせる何気ない日常の幸福感
が貴重なものなのだと思えます。
「忙しさ」の中でも
隙間時間に、そんな些細な幸福感を見つける。
ゆっくりと深呼吸して心穏やかな自分を確認する。
すると、「こんなはずじゃなかった」
にも冷静に対処することが
できるようになります。
お読みいただきありがとうございます![]()
「なんでこんなこともできないんだ!」
と、人に苛立ちを感じることがあります。
これは、特に自分より立場や知識レベルの
低い人に対して抱きやすい感情です。
自分が簡単にできることであれば尚更のこと、
その簡単なことができない人を見ると、
その人のネガティブな面ばかりに目が行ってしまい、
しまいには”無能”の烙印を押すことになります。
一回、この「烙印」を押してしまうと
そのフィルターを通してしか
その人のことを見れなくなってしまうので
何もかもがイライラの対象となってしまいます。
この烙印を押された方は
たまったものではありません。
これが一度きりの関係の中であれば
やり過ごすこともできるでしょうが、
パートナーや夫婦、上司部下などの
長期的な関係の中でこのようなことが
起こると、これはもう地獄です。
しまいには「私はダメなやつだ…」
という思い込みで自己肯定感が
思い切り下がってしまいます。
この思い込みのせいで
ダメな自分をさらに強化してしまい
ますます「そんなこともできない」
自分を作り上げていってしまいます。
このように
「なんでこんなこともできないんだ!」
という感情から、想像もしていないネガティブな
ドラマが展開されてしまう可能性があるのです。
これはどうすればよいのでしょう?
自分が上の立場の人間だった場合は
こんなふうに捉えて見ると
違った対応ができるようになります。
「彼(女)はこれは適正がないから他の仕事がいいのでは?」
「仕事がマルチタスクになっていて
彼(女)の力量ではこなせないのかもしれない。」
「彼(女)がもっと能力を発揮できる場所はどこだろう?」
「自分の伝え方に問題があったのでは?」
などと状況と自分・その人を俯瞰して見ると
違う側面が見えるようになり、
適切な言葉を投げかけることが
できるようになるかもしれません。
一人の人間の「気付き」を促し、
適材適所がマネジメントできるようになると
確実に生産性が上がり、苛立ちも解消できます。
因みに、これはどんな人間関係に
おいても応用が効きます。
お読みいただきありがとうございます![]()
今日はスポーツの日
このスポーツ選手の
こんな言葉が目に止まりました。
周りの評価や勝ち負けに
こだわってプレッシャーを感じたり、
どうしていいのか分からなくなって
もがいている選手はたくさんいると思うんですよ。
ですから、これからもレスリング、
スポーツが持っている本当の価値、
勝ち負けではなく「道」を究めていく
楽しさを多くの選手に伝えていきたいですね。
ただ、それは自分で
苦労した人にしか分からない。
辿り着けない部分でもあるので、
悩むのは悪いことじゃない。
むしろどんどん悩んで、
いろんな人に助けてもらいながら
前に進んでいくことの
大事さも伝えていきたいと思います。
by 伊調 馨(女子レスリング選手)
オリンピック選手は
本番のあの数分のために
僕たち凡人が想像できないほどの
血と汗を流しながら日々、練習をこなしています。
そうでなければ、
オリンピックに出れるはずもない、
という想像は凡人にもできます。
人にはそれぞれの「道」があります。
今やっている仕事も趣味も
一つの「道」だとも言えます。
どの「道」をいくにしても
究めるには、
自分で苦労するしかないと言います。
そうでないと、
行きたいところに辿り着けないのです。
これは苦労を我慢する忍耐力が
必要だという意味ではありません。
苦労を苦労とも思わず、
それを楽しみ、やり続けられる人だけが
道を極め、ゴールにたどり着けるのだと
いう意味なのだと思います。
ここまで行くと一流の仲間入りができます。
口から出る言葉が
「成功したい!」から
「成功できないはずがない」
という言葉に変わります。
今日は身体を動かして楽しい1日にしましょう!
お読みいただきありがとうございます![]()
秋も深まり、日の出も遅くなり
この前まで来ていた
半袖のTシャツでは寒苦なりました。
毎朝、5:30少し前に公園に行くと
まだ暗いのですが、間も無く日光が顔を出します。
毎朝、毎朝のことですが、
太陽が最高だと思える瞬間なんです。
自然と感謝が込み上げてきます。
そんな感謝や感動を味わいながら
その思いをノートに綴ることが習慣です。
早起きは「三文の得」と言いますが
この「三文」は現在価値に直すと
30億円ほどの価値なのだと思っています。
早起きが習慣になっている人は
もれなくこの価値を十二分に知っているはずです。
成功している人は大概、早起きです。
でも、間違ってはいけないことがあります。
それは
「成功したければ早起きしなさい」
のような格言のような言葉に縛られて
早起きを自分に強制しようとすることです。
この考えは間違いだと思います。
これだと「即席の成功」を目指しているため
そうならないと早起きする目的がなくなり
すぐに朝起きれない自分に逆もどりします。
このブログの冒頭を戻ってもう一度
読んでみてください。
僕の朝のこの感謝や感動が持てることは
、毎朝”30億円の価値”をいただいているのと同じことです。
だから、もうそれで大成功しています。
この感覚を味わえるようになると
朝は目覚ましなしで、オートで早起きになります。
「早起きは30億円の得」
お読みいただきありがとうございます![]()
「今」過去の栄光に
いつもでも浸っていると
次の近い未来の「栄光」を
手に入れることはできません。
「今」未来の憂いに
いつもでも浸っていると
次の近い未来に
その「憂い」が再来します。
エネルギーが自分に向くと
過去か未来ばかりに目が向いて
「今」この瞬間の輝きを失ってしまいます。
エネルギーが他の誰かに向かい
「喜ばせよう」「楽しませよう」
となると「今」、最高の瞬間を
手にすることができます。
その瞬間こそが
純粋に「無私」「無我」
になれるからです。
そんな瞬間の連続が
その人を輝かせてくれます。
その輝きに周りの人は魅了されます。
「さあ、今日は誰を喜ばせましょうか?」
お読みいただきありがとうございます![]()
「確実に大丈夫」という道は安心できます。
安心ということは、リスクもほとんどなく
先が見通せるからだとも言えます。
この道を行くのは
本能的にも間違っていないし、
僕もその道を選ぶことが多いです。
でも、この道は誰もが通りたくなる道なので
「成功する・勝負に勝つ」に繋がる道ではありません。
安心できるわかりきったことは
成功できるとは正反対の道であることがほとんどです。
「チャレンジする」とは敢えて茨の道を選び
「やってみなきゃわからない」のに
自分の信じた道を思い切って歩み始めることです。
これははっきり言って怖いものです。
その恐怖と戦うには
チャレンジする目的やビジョンという
自分の中の軸をしっかり持ち続ける
必要があります。
「何のためにそれをやるのですか?」
これにいつでも答えられる
自分で居続けなきゃいけないと強く思います。
お読みいただきありがとうございます![]()
毎日、日記のようにつけているこのブログ。
なんとなく初めて、毎日つけていると
いつの間にか習慣になる。
「書かなきゃいけない!」
という義務感だと多分、途中でいやになる。
そうではなくて、ゆる〜い独り言な感じで
脳の中をアウトプットしているだけなので
やりたいからやるというスタンス。
昨日は体調がすぐれず、ブログを書かなかった。
義務ではないのに、習慣化されてくると
やらないことに違和感が出てくる。
毎日の歯磨きみたいなもので
夜、歯磨きをしないで寝るくらいの違和感。
気持ち悪いのでやらずにはおれない衝動。
習慣というのは日々の積み重ねでできるのだ
という理屈では当たり前だと思えることでも
これまでやっていなかったことを続けることで
改めて、それを実感できる。
どんなことだって習慣になっていることを止めた時の
違和感や気持ち悪さが、人が変わることへの抵抗なんだろう。
決意を新たにして新しいことをやろうとしても、
気持ち悪さが邪魔をする。
決意を新たにして悪き習慣をやめようとしても、
気持ち悪さが邪魔をする。
だから、人はなかなか変われないんだと思うと同時に
この症状を自覚し、気持ち悪さを薄めていく自分独自の
処方が見つかると、変わることができるということでもある。
今日はまだ少し、体調がすぐれないけれど
そんな違和感からぼーっとした頭で
このブログを書き、今日はこの後
体を休めて回復に努めるとします。
お読みいただきありがとうございます![]()
隣の芝生がより青く見える。
ここで
「負けてたまるか!」
なんて思うと、それが負けを意味します。
・そこの土の質が悪いからか?
・自分が手抜きをしているからか?
・自分がそれを実現させる能力がないからか?
などと心の中で
自家と隣家を比べてしまったり、または、
第三者からの評価を気にすると「勝ち負け」
の基準でものを見るようになってしまうので
「負け」は嫉妬心が生じやすく
「勝ち」は思いあがりが生じやすい。
いずれにしても幸福度が下がります。
そもそも、芝の質が違うために
それ以上、青くならない種かも
しれないのだとしたら
そこに勝ち負けの考え方を持ってくるのは
本当に馬鹿らしいことです。
ここでの「芝」は喩えですが、日常の中で
自分と人を比べたり、その比較から出てくる
人からの評価を気にすることが
多くなっているような気がします。
それで、自己肯定感を下げると
「できない自分」や「諦める自分」
が強化されてしまいます。
自分が愛情込めて、手入れしていれば
芝は勝手に、その芝に相応しい「青」
になってくれるものです。
隣家と比較することはありません。
今日はこの方のこんな言葉をお届けします。
「目は見えなくても、
心の目は見えているので満足しています」
by 辻井 伸行(ピアニスト)
もし、ネガティブな感情になった時は
辻井さんになったつもりで考えてみると
気付くことがあるかもしれません。
お読みいただきありがとうございました![]()