「あなたらしく

  いればいいじゃない」

 

 

と、誰かが→誰かに

言っているのを聞くことがあります。

 

 

 

この時、

言う側の人は聞く側の人の

「あなたらしさ」をなんとなく

定義しているようです。

 

 

 

でも、それを言う側の定義と

それを聞く側の定義は

決して同じではありません。

 

 

 

そもそも聞く側も「自分らしさ」を

完全にわかっていなかったりするので

人から言われる「あなたらしさ」は時に、

「私の思うようなあなたらしくいて!」

という同調圧力のような呪いの言葉の

ように聞こえるかも知れません。

 

 

 

「自分らしく」いるには

「自分」をよく知っておかないと

「らしく」はいられません。

 

 

 

それがわかっていない人の「自分らしく」

は単に自分だけが心地の良さ感じている

「自分勝手」になっていたり、

 

 

 

同様に「好きなことをする」も

「傍若無人に振る舞う」ということ

との区別がついていなかったり、

 

 

 

 

など、

「あなたらしい」とか「好きなことをする」

を間違った解釈によって「あなた」を

暴走させてしまうかも知れません。

 

 

 

この暴走はかえって「あなたらしさ」を

わからなくさせてしまいます。

 

 

 

すると

「あの人はよくわからない」などと

言われてしまう可能性があります。

これは周りが「あなた」から離れていく

初期症状かもしれません。

 

 

 

「あなたらしさ」とは

あなたの価値観や信念に基づいています。

それは子供時代に形作られたものかもしれません。

 

 

 

人生を振り返り、心の声をじっくり聞いて

本当の自分を再確認する時間を持って

自分と対話してみると良いです。

 

 

 

↓↓この方の「あなたらしさ」は

何かを考えることでヒントが

あるかもしれません。

 

 

 

美しさは、

 あなたがあなたらしくいる

  と決めた時に始まる。

 

   by ココ・シャネル

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

「お金がない…」

 

 

「時間がない…」

 

 

「人脈がない…」

 

 

 

これらは、

もしかしたら

今のあなたの現実かもしれません。

 

 

もしかしたら

今のあなたの周りにいる人の

現実かもしれません。

 

 

 

でも、これらを理由にして

「何もしない」という選択をすると

この先もずっと

「お金・時間・人脈などなくてもよい」

という選択をすることになります。

 

 

 

また、これらを理由にして

「妥協」という選択をすると

ライフ・ワークではなくて

ライス・ワークに身をやつすことになります。

 

 

 

「●●がない…」と

 宣言してしまうことは

 

 

「そうよね〜たいへんよね〜」

という誰かの同情を期待しているか

 

自分自身の間違った選択を正当化するため

の方便とも言えるかもしれません。

 

 

言い換えると

これらは、

「もっともらしい言い訳」

に聞こえてしまうのです。

 

 

 

 

そうでなければ

 

「この状況から、

 いち早く抜け出すには

 どうしたらいいだろうか?」

 

と知恵を絞ろうとするはずです。

 

 

 

例えば、

「お金はこれだけしかないけど

 なくてもできる方法はないだろうか?」

 

 

「忙しくて時間もないけど

 もしかして無駄なことが多いんでは?」

 

 

「今まで行ったことのないところに行き

 出会いのきっかけを作ることはできないか?」

 

 

 

 

言い訳は「誰か」にしているのでなくて

自分自身にそれを言い聞かせ、そして

それを自分のゴール設定にすることになります。

 

 

「お金がない」と言い訳すれば

そのお金がない状態を、

自分自身で強化していくのと同じことです。

 

 

 

 

行く道は違っても

誰にだって、成功する種はあります。

その種を芽吹かせ、花を咲かせられるか

どうかはあなた次第だということです。

 

 

 

 

私が成功したのは、

絶対に言い訳せず、

言い訳を許さなかったからです。

 

 

by フローレンス・ナイチンゲール

 

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

 

 

誰にとってもモノを買うのは楽しいことだし、

新しいものに出会うとワクワクしたりもするものです。

 

 

ところが、

「買う」のは好きなのに

「売られる」のは好きではありません。

 

 

「売られる」というと

自分で決められないような、

売る方が一歩的に決めたような、

感じがしてしまうからです。

 

 

だから、セールスと言う仕事は

多くの人にとってやりたくない

仕事なのかもしれません。

「モノを売る」ということに

 心理的抵抗が働きます。

 

 

 

なんだかそれはあたかも

不必要なモノを、「必要だ」と思わせるように

誘導し、説得するようなイメージがあるから

だとも思えてきます。

 

 

このあたりイメージが「モノは売れない」

と言われる所以なのかもしれません。

 

 

 

そこで「マーケティング」

 

 

 

これは「売る」のとどう違うのか?

 

 

 

 

 自分が価値があると感じるモノを

 

 必要だと感じてくれる人に

 

 必要なタイミングでその価値を届けるプロセス

 

 

 

というとどうでしょう?

 

 

 

 

これだと買う側の

「自身で決める」プロセスを奪うわけでもないので

満足感やワクワク感までも共有できる感じがします。

 

 

 

これと同じように

人間関係でも「自分を売り込む」と

煙たがられるし、ただ痛いだけです。

 

 

 

それは例えれば、恋愛で

 

 

「俺ってすごいだろ〜」

 

 

 

というようなもので、

自分自身を安売りしているにもかかわらず

十円でも要らないと思われてしまいます。

 

 

 

多分。笑

 

 

 

 

日頃から自分自身の

価値を高める努力をして

それが自然に伝えられるように

学ぶことで、自分の価値は高まります。

 

 

 

 

そのうち周りが放っておかないような

必要とされる人になれるはずです。

 

 

 

 

成功のためではなく、

価値のある人間になる努力をしなさい。

 

 

by アルベルト・アインシュタイン(物理学者)

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

「感謝してもしきれない」

 

 

 とか

 

 

「愛という言葉では足りない」

 

 

 とか

 

 

「この痛みは誰にも分からない」

 

 

 

などと言う言葉は

言葉に仕切れないその人の気持ちを

最大級で表している精一杯の表現です。

 

 

 

当の本人でも

「しきれない・足りない・わからない」

のですから、本人以外にその心のひだ

の部分までは分かろうはずもありません。

 

 

 

例えば、人に

その気持ちを説明しようとして

 

 

 

「あ〜わかるわかる!!

 こういうことでしょ!?」

 

 

 

などと軽く割り込まれると

ちょっと違和感があるのを

感じたことがある人も

少なくないでしょう。

 

 

 

だから

ここはわかったようなことを言うことや

わかったふりをするのはやめることです。

 

 

 

自分以外の人の心は

「理解しきれない」

「言葉では何かが足りない」

「本当の意味はわからない」

と割り切って、違う想いや考えを

分かろうと努めることが

本当の思いやりというものです。

 

 

 

 

単に「聴く」こと。「傾聴」。

それが意外に簡単ではないのは

そこに思いやりや優しさなどの

人格的な素養が必要だからです。

 

 

 

 

「思いやりを持って人の話を聴く」

コミュニケーション上手な人は

話すことより聴くことが上手な人です。

 

 

 

今日は誰かの話をじっくり

聴くと違う感覚が生まれるかもしれません

 

 

 

「天体の運動は

 いくらでも計算できるが、

 

  人の気持ちは

   とても計算できない」

    

          by アイザック・ニュートン

             (物理学者)

 

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

齢50も超えますと

体のメンテナンスが必要になってきます。

 

 

 

車と同じで、「肉体」という乗り物は

当たり前のように経年劣化していくので

実は、若い時からメンテナンスしてあげる方が

身体は長持ちするものだなと痛感する日々です。

 

 

 

 

 

若い時の不摂生が、歳と共に顕在化してくる。

つまり、ツケが回って体の故障の程度が

重くなるものだということです。

 

 

 

 

だから

食事のタイミングと食材

睡眠の質を確保するための早寝早起き

無理のない適度な運動

 

 

 

 

などをコントロールすることは

豊かな人生の実現には必須だと思い、

日々これらを取り入れているわけです。

 

 

 

でも、まだツケが残っていて

 

 

 

「あれ?なんだか背中が痛い…」

 

 

 

とか、いつもは平気なところに

なんらかの症状が出ると

やはり不安になるものです。

 

 

 

でも、この痛みの原因がわからずに

いると心配・不安が増してきます。

 

 

 

それで、医者に行って

 

 

「あ〜肩こりですね。

  湿布を出しておきましょう。」

 

 

で、とりあえずホッとします。

 

 

 

 

ところが「心の痛み」になると

物理的な処理ができないので困ったものです。

 

 

  • 何かわからないけど、苦しい
  • 何かわからないけど、憤りを感じる
  • 何かわからないけど、不安

 

 

その答えを探しながら、

近くにいる人に心の声を打ち明ける。

もし、それが適当なアドバイスだったら

 

 

 

「まあ、そうだね。ありがとう」

 

 

 

 と言いつつ

 

 

 

「あの人は何もわかっちゃいない

 言わなきゃよかった」

 

 

と、なるかもしれません。

 

 

 

他の人は「あなた」ではないので

経験やパターンでしか答えることができません。

そのパターンがハマればいいのですが

心の微妙な動きはどうもパターンでは

収まらないことの方が多いようです。

 

 

本当の答えはすでにあなた自身の中にあります。

心の痛みの原因を言葉にできたとき

その適切な処方箋は自分自身で見つけることができます。

 

 

ですから、自分自身をよく知ることが大切です。

自分自身と向き合う時間を持つことが大切です。

 

 

自分を知ることが大切なのは結局、

借り物の言葉で自分を見繕うのではなく、

自分が持っているものでなんとか

やっていくしかないからです。

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

心のこもった贈り物は

何よりも嬉しいものです。

 

 

贈り物そのものよりも嬉しいのは

贈り物をするまでのプロセスが

感じ取れるからです。

 

 

「何で喜んでくれるかと悩み」

「少し離れたお店まで行き」

「買える精一杯のお金を使い」

 

 

などが伝わってくると

それはもう物質的な価値ではなくて

その人の「心」そのものを

感じ取ることができる経験価値となります。

 

 

 

家に時計が2つあります。

 

 

 

1つは

10年前に、(格好つけるために)

300万円ほどの時計を自分で買いました。

 

 

 

もう一つは

娘が成人式を迎えて働いたお金で

初めて父の日に贈ってくれた1万円ほどの時計。

 

 

 

僕にとっては

この1万円ほどの時計の方が

大切で、価値が高いものです。

 

 

 

贈り物のような非日常的なところでは

このように「心を込める」大切さを

実感できますが、

 

 

日常の何気ないことでも

「心を込める」というのが

大切なのではないかと思います。

 

 

今日、もし大切な人や大好きな人に

送るメールがあるなら、

いつもより少し「心を込めて」

文章を書いてみると清々しい

気持ちになるはずです。お互いに。

 

 

 

 

今日はこの人の

こんな言葉を贈ります。

 

 

「心を込めて」

 

 

 

 

「大切なのは、どれだけ

 

 たくさんのことをしたかではなく、

 

 どれだけ心を込めたかです」

 

 

by マザー・テレサ(カトリック修道女)

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

 

努力しているように見えるのだけど

なぜかうまくいかない人がいます。

 

 

本人は一生懸命。

真面目にやってる。

苦労も厭わない。

性格もとても良い人。

 

 

でも、結果が伴わず

苦労が絶えない。

 

 

いつも忙しく時間もない

経済的にゆとりもない

体力的にも衰えてゆく

 

 

別に悲劇のヒロインを

演じたいわけじゃなく

できれば、成功したい。

 

 

 

なぜだろう?

と考える瞬間はあるけど

しっくりくる答えがない様子。

 

 

そこで質問してみました。

 

 

「その仕事はやりたい仕事なんですか?」

 

 

「そうでもないですが、

 稼げるかも知れないと思って」

 

 

「それで楽しいですか?」

 

 

「いえ、ストレスの方が大きいです」

 

 

 

「それを続けた先の未来は

  どんな未来ですか?」

 

 

 

「稼げたとしても、

  体を壊すかも知れません」

 

 

 

と、言葉にしていなかった

違和感がどんどん出てきます。

 

 

 

これではうまくいくはずもないのですが

本人は、「今までのことを無駄にしたくない」

というバイアスがかかってしまい

うまくいかない自分を正当化します。

 

 

 

この方は昔、バレー選手で

バレーのコーチをしていたくらいの方。

 

 

 

そして、僕は正直に告げます。

 

 

 

「〇〇さんが

 すごい頑張っているのはわかります。

 でも、その頑張りをこう例えてみます。

 

 

 バレーで優勝したい!というゴールがあるのに

 頑張っている場所がバレーコートではなくて

 

 サッカー場で、しかもたった一人で孤軍奮闘

 しているように見えます。

 

 そして、バレーボールを一生懸命

 蹴っているように。」

 

 

 

 

それで彼女は「ハッ」としていました。

 

 

 

彼女はとても能力の高い人です。

 

 

この後の活躍を心から応援していますウインク

 

 

 

 

今日はこの人のこんな言葉が

心に響きます。

 

 

樹木にとって最も大切なものは

何かと問うたら、

 

それは果実だと誰もが答えるだろう。

 

しかし、実際には種なのだ。

 

byニーチェ(ドイツの哲学者)

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

 

今日はこんな言葉が目に飛び込んできたので

これについて、私見をお話ししたいと思います。

 

 

 

心で見なくちゃ、

ものごとはよく見えないってことさ。

 

かんじんなことは、目に見えないんだよ。

 

 

サン=テグジュペリ 

(フランスの作家、操縦士 / 1900~1944)

 

 

 

「目に見えないものを見る」

武士の精神のような物言いです。

 

 

言葉をそのまま拾うと

「目に見えないんだったら

  見えるわけないでしょ!?」

と、言いたくなるかもしれません。

 

 

 

同じように

「耳で聞けないものを聞け!」

とも言えるのですが

 

 

例えば

「あれ、とってくれる」

と言葉だけ言われても

「あれ」とは何かが

さっぱりわかりません。

 

 

 

 

前後の文脈や背景があって

自分がそこにいて、全体が見渡せていると

 

「あれですね。わかりました」

 

と言えることがあるのは

想像できるでしょう。

 

 

 

自分の顔を自分の眼で

直接見ることはできません。

 

 

 

自分の背中を自分の眼で

直接見ることはできません。

 

 

かんじんなことは、

自分の眼には映らないのですが、

人からはよく見えるわけです。

 

 

つまりこれは、

無意識が映し出されところに、その人の

肝心なものが見えるということです。

 

 

 

これだけは、

意識的に見えるところだけを

どれだけ格好をつけたところで

ごまかしが利きません。

 

 

 

「心で見なくちゃ、

 ものごとはよく見えないってことさ。」

 

 

 

 

自分を日々大切にすれば

心で見れるようになれるものです。

 

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

「これだ!」と思える瞬間があります。

 

 

日常的なことで言えば、

例えば、妻が新しい洋服を買に行く場面。

 

 

ウィンドウショッピングでブラつきはじめて

ほんの数分ほどで

 

 

 

「あ。これ!」

 

 

 

と心がときめいている様子。

 

 

 

僕としては、買い物は目的を達成するためだけのもので

なんとなくブラブラするのはあまり好きではありません。

 

 

 

なので。

 

 

 

「これだ!と思うならこれが一番良いと思うよ」

「これで良いんじゃない?」と諭します。

 

 

 

しかし、まだ他にもいろいろ見たい妻は

このプロセスを楽しみたい欲求と、

もっと良いものがあるかもしれない…

と思考を働かせ、その場は据え置き。

 

 

 

 

 

そして、数時間後一週してきて結局

最初の「あ。これ!」を買うことになります。

 

 

 

 

「だったら、

 やっぱり最初からこれにしてくれ〜」

と心で叫びますが、何も言わないことにしています。

 

 

 

 

これと同じように

僕の場合はですが、思考を働かせるより

直感に従った方が結果正解なことがほとんどです。

 

 

 

 

新しい仕事やビジネスでも同じです。

過去を振り返ると、損得や儲かる可能性を

計算して選んだものは当てが外れることが多いのですが

 

 

 

直感で「これだ!」と感じて行動したものは

大概、うまくいくという自分の中の統計があります。

 

 

 

損得計算が先に来ると、心に淀ができていて

それに取り組むことに「楽しさ」や「ワクワク感」

がすぐに薄らいでしまうことが影響していると思います。

 

 

 

多くの人は「できる・できない」の基準で判断します。

しかし、「できる・できない」は過去の自分に引き戻された

状態。つまり思考の癖で考えてしまうということ。

 

 

「できない」

は一生できるようにならないを選択することです。

 

 

「できる」

は過去の自分の論理での判断なので

過去の自分の実績を超えることができません。

小さくこじんまりと収まってしまうということです。

 

 

 

これが理論・理屈や論理の限界です。

 

 

 

だからまずは直感に従い

 

 

 

「具体的な方法はよくわからないけど、

 私は幸せに年収1億になれることは知っている」

 

 

と自分に話しかけてみると

無意識がその方法を探り出します。

 

 

 

最近、奇跡みたいなことが頻繁に起こり

今日何が起こるのか楽しみで一日が始まります。

 

 

 

なぜなら、僕も僕のパートナーも

「具体的な方法はよくわからないけど、

 幸せに年収1億になれることは知っている」

 

 

ため

 

 

後から、具体的な方法が発見され

理解できるようになっているからです。

 

 

 

これは日頃から

直感力を磨いている賜物だとも言えます。

 

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

 

あるオーナー経営者と

面談する機会をいただきました。

 

 

 

ここでのキーワードは

 

 

 

なんと!

「事業=人助け」

 

 

 

 

SDGsが叫ばれる昨今

 

 

エコロジカルな経営は必須課題となり

それを実現しようとすると、

収益を上げることの難しさに直面します。

 

 

「お客さまのために」とか

「地域社会に貢献する」とか

「地球環境にやさしく」とか

 

 

と言うポーズをとりますが、

深層課題や本音のところでは

そんなことを思っていない経営者も

多くいると感じるのは残念なことです。

 

 

 

現実は利益が上げられないと、

それどころじゃなくなり

「藁をもつかむ気持ち」

が優先される気持ちもあるでしょう。

 

 

しかし、この思考回路では

状況は改善することなく

さらに悪化するしかなくなります。

実際、そんな場面を多くみてきました。

 

 

 

 

「お客さまのために!」が

いつの間にか

「自社(自分たち)のために!」

にすり替わってしまい、

その澱んだ思いは、

アッっという間に察知されます。

 

 

 

 

これは恋愛にも通じます。

「あなたのために」は

いつの間にか

「俺のため、私ため」にすり替わり、

愛が憎悪に変わる瞬間を味わうことになる。

のと同じことです。

 

 

 

 

全く異業種の会社に助けを求められた際

社内では

 

 

「こんな真っ赤っかの会社を

 買い取るのはリスクしかないので絶対反対です!!」

 

 

と当たり前の反応をするわけです。

 

 

 

しかし、オーナーは

「ここで助けなかったら

 ここにいる従業員は路頭に迷うでしょう」

 

 

 

だけで、資金を投入して

助けてしまいます。

 

 

 

すると、絶望的だった会社が

息を吹き返して、2年で黒字化してしまいます。

社内の幹部でも不思議がっているくらいです。

 

 

 

おそらく、そこにいた従業員が助けて

もらった恩義を感じて

一人一人が立て直しのために営業まで

して協力しあったのだろうとその幹部は

話してくれました。

 

 

 

これは、

経営論や経済学とか損得では

踏み切れるものではありません。

 

 

 

 

このオーナーは48年間やり続け、

グループ企業売上1200億円を

一代で築き上げた凄い方です。

 

 

でも、見た目は本当に普通で

どちらかと言えば、地味です。

持っているものとか

身につけているものは全て庶民的で

誰でも買えるようなものしか見えません。

 

 

 

「事業=人助け」が

表面的なキレイ事ではなくて

毎日実践実証されているのが

どこから見てもわかるくらい

隙がありません。

 

 

 

 

結論

このオーナーは私の求めていた

メンターでした。

 

 

 

 

人生は不思議です。

思ってもみなかった展開が突然訪れます。

全て、出会いがもたらしてくれるものです。

 

 

 

 

そう思うと、自分などはたかが知れているもので

周りに生かされている実感と感謝しかないのです。

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい