これは人殺しを推奨する記事ではありません。人殺しをやめさせるための記事です。
私には経験がある。毎日怒鳴られ、人前で恥を晒させ自尊心を破壊された日々を。
現代で物理的に人を殺すのは難しく、監視の目をくぐり抜けなくてはならない。金で誰かを買収して実行するか、秘密裏に完璧な計画をたてて実行するか、後先考えずにただ突き進むか、この3択しかない。
この3択を選べない人が一体なにをして人を殺そうとするかご存知だろうか?
答えは、精神的に追い込んで社会的に低迷させ、自傷・自殺に追い込むことだ。
精神的に追い込むことに関して、法律や世論は圧倒的に劣っている。白黒はっきりした証拠がなければジャッジできない。目に見えない現象だからこそ判断の基準がないのだ。
判断の基準が無いからこそ、権力による悪用も容易にありえる。命令に従わなければ制裁を受け、それでも従わなければ死活問題になることを突きつけられる。
逆らい害をなすものは問答無用で制裁される。本当に害をなす人間は制裁されて当然だが、害をなさない場合も制裁を受けることはある。
罪に値しないのに受ける制裁は、個人の欲望や道連れ思考による制裁だ。そして人を殺す理由も、欲望や道連れだ。
全ての人間は精神的に追い込まれると自殺を考える。強い意思を持てばいいという問題ではなく、強い意思を砕かれ追い込まれた結果が自殺なのだ。
経験者しか理解できない領域だが、もし経験したいのであれば、「大切なものを全て」失えばその気持ちが分かるだろう。
人の心を殺してはならない。一滴一滴の他者の攻撃は、コップ一杯になると溢れ出し自殺に追い込む。最後の一滴だけが悪い訳ではない。一滴一滴全てが罪なのだ。
コップの中の劣等感は20%~50%で高い推進力を持つ。劣等感の無い人間はテングになり堕落する。劣等感がありすぎる人間も堕落する。
その一滴一滴が罪にはるのか徳になるのか、人を見て判断するのは極めて難しい。2分の1で罪を犯すならば、それは罪と言って差し支えない。人を追い込み葉っぱをかける事が徳だと信じている人は自分の常識を一度疑った方がいいだろう。人を殺す気はなくても、自殺に追い込む可能性が高い事を忘れてはいけない。
悪意をもって自殺に追い込むか、善意だと信じ自殺に追い込むか、どちらにせよ当事者からすればどちらも死神にしか見えないのだ。


