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自閉症特化カウンセラー | 中央区・築地・東銀座・新富町

カウンセリングは瞑想的で安らかな対話を志します。ブログは説明のため論理的ですが、カウンセリングは感覚が大切だと思っています。

ここではあえて触れられたくない真実の声を書き留めてゆきます。人それぞれ人生は違いますので、自分に適したタイトルだけお読み下さい。

手を汚さず人を殺す方法は自殺させること

これは人殺しを推奨する記事ではありません。人殺しをやめさせるための記事です。


私には経験がある。毎日怒鳴られ、人前で恥を晒させ自尊心を破壊された日々を。

現代で物理的に人を殺すのは難しく、監視の目をくぐり抜けなくてはならない。金で誰かを買収して実行するか、秘密裏に完璧な計画をたてて実行するか、後先考えずにただ突き進むか、この3択しかない。

この3択を選べない人が一体なにをして人を殺そうとするかご存知だろうか?
答えは、精神的に追い込んで社会的に低迷させ、自傷・自殺に追い込むことだ。

精神的に追い込むことに関して、法律や世論は圧倒的に劣っている。白黒はっきりした証拠がなければジャッジできない。目に見えない現象だからこそ判断の基準がないのだ。

判断の基準が無いからこそ、権力による悪用も容易にありえる。命令に従わなければ制裁を受け、それでも従わなければ死活問題になることを突きつけられる。

逆らい害をなすものは問答無用で制裁される。本当に害をなす人間は制裁されて当然だが、害をなさない場合も制裁を受けることはある。

罪に値しないのに受ける制裁は、個人の欲望や道連れ思考による制裁だ。そして人を殺す理由も、欲望や道連れだ。

全ての人間は精神的に追い込まれると自殺を考える。強い意思を持てばいいという問題ではなく、強い意思を砕かれ追い込まれた結果が自殺なのだ。

経験者しか理解できない領域だが、もし経験したいのであれば、「大切なものを全て」失えばその気持ちが分かるだろう。

人の心を殺してはならない。一滴一滴の他者の攻撃は、コップ一杯になると溢れ出し自殺に追い込む。最後の一滴だけが悪い訳ではない。一滴一滴全てが罪なのだ。

コップの中の劣等感は20%~50%で高い推進力を持つ。劣等感の無い人間はテングになり堕落する。劣等感がありすぎる人間も堕落する。

その一滴一滴が罪にはるのか徳になるのか、人を見て判断するのは極めて難しい。2分の1で罪を犯すならば、それは罪と言って差し支えない。人を追い込み葉っぱをかける事が徳だと信じている人は自分の常識を一度疑った方がいいだろう。人を殺す気はなくても、自殺に追い込む可能性が高い事を忘れてはいけない。

悪意をもって自殺に追い込むか、善意だと信じ自殺に追い込むか、どちらにせよ当事者からすればどちらも死神にしか見えないのだ。



アセンリング公式サイト 


 


オンライン通話が差別社会を生む日


一見便利なオンライン通話。家の中で他人と視覚的コミュニケーションがとれる便利なツールだ。外には出なくてもいい、お気に入りの人とだけ話せる。

苦労をして足を運ぶという情緒が失われた先に何があるか・・人間関係が希薄化していくのだ。お気に入りの人はたまに会うし、気に入っているのだから希薄な関係にはならない。それ以外の人は?もちろん関係性が薄くなる。

昔の連絡手段は手紙しかなかった。思いを込めて丁寧に書く手紙。苦労して山と川を越えて届けられる。その思いを想像するだけで喜びが溢れてくる。例えお気に入りの人からでなくても深い喜びを感じる。
現代はというと、文字を打つだけ、ボタン一つで一瞬にして相手に届く。ありがたいどころかうっとうしさを感じる人もいるでしょう。

手紙の話しをオンライン通話に置き換えてて考えたらどうなるでしょう。情緒的感情はほとんど沸かなくなり、モテる人だけが欲望感情だけの通話相手になる。ここて言うモテる人は、異性だけでなくビジネス相手など幅広い意味を指します。

お気に入りの人以外には感情が沸かず、その他の人との距離感はますます遠くなります。

普通に思える人は相手しなくなり、お気に入りの人としかコミュニケーションしなくなる。


その先にあるのは閉鎖的人間関係。閉鎖を望むところと思う人もいるでしょう。しかし狭い共感的世界に身を置くとその世界の中でしか生きられなくなる。適応能力を失い、差別思考が大きくなり、コミュニティー間で争いも多くなる。


もしも狭い共感的世界から外されてしまった場合を考えてみましょう。その喪失感は激しい怒りの感情を生みます。再起しようも理想の相手は簡単には見つかりません。適応能力を失った状態で、周りは差別的コミュニティの巣窟だとしたら、その先にあるのは絶望的孤独です。


中には良心で丁寧に扱ってくれる人も居るでしょうが、そういう人はすでに多くの仲間を抱えているので、相手しきれないのが現状です。


自分が情緒ある人間として立ち上がらなければ、いつまでたっても環境は改善されません。


私は以前オンラインの1000円にも満たない買い物で、素晴らしい直筆の感謝手紙を頂いた事があります。その感動は忘れられずずっととっとあります。機会があればまたその人から買い物をしたいと今でも思います。


オンライン通話は一つの手段です。リアルな対面がコミュニケーションの要です。情緒を忘れないようにしましょう。



オプティマズム 




偽りの性交渉による人生の破滅


まず始めに、好きと愛は根本的に違うという事を理解しなければならなりません。好きとは、早期の段階で見た目や声や振る舞いを可愛いとかかっこいいと思う事。それは絆ではなく、欲望で交わりたいと思う事。欲望に愛は存在しません。つまり、偽りの性交渉なのです。偽りの性交は大いに結構と容認する人も、考え直すきっかけになればいいと思います。


欲望で繋がった関係は、その他の生活でも欲望に振り回されることになる。つまり、自分勝手やワガママのまま生活は継続され、相手に合わせなくてはいけないと自分を偽り続けるのだ。愛しているから合わせてあげなくちゃいけないと思い込み、本当は愛していない事に気づけないのです。


本当に愛があるもの同士なら、「望みの事をしてあげなくちゃいけない」とは決して思わないません。


愛とは絆である。お互い信じあっているからこそ、お互いが望む事を無償の愛で実行するのです。望みの事をしてあげないと望みの事をしてくれないという、偽りの恐怖は存在しないのです。


性交は愛の最たる行いである。望みの事をしてくれたから、してあげなくちゃいけないというものではありません。


若い頃から「望みの事をしてあげなくちゃいけない」という性交を続けるとどうなるか・・・当然ながら、性交に疲れ人を信じる事ができなくなるります。偽りの性交が多い程、偽りの人生に後悔し、老後の虚無感は増大する。


偽りの性交者の2人がもし結婚した場合、当然ながら愛が無いのでその結婚生活は破滅する。離婚はしなくても損得の判断で結婚生活は持続されるだろう。


愛のある人間と、偽りの性交者が結婚するとどうなるか。当然ながら結婚生活は破滅する。偽りの性交者は自己中心でワガママだ。「望みの事をしてあげなくちゃいけない」という思考を持ちながら、「望みの事をしなくても望みの事がしてもらえる」という快楽に陥るのだ。愛のある人間は常に無償の愛で尽くすが、偽りの性交者のエスカレートするワガママに耐えられなくなり破滅するのだ。


愛のある2人が結婚することでのみ、最高に幸せな生活が送れる。

だが残念な事に、とっかえひっかえパートナーを変える現代では、愛のある2人が結婚できる可能性はほぼ無いと考えられます。


私は、偽りの性交に堕落させた張本人達を知っています。そしてそれを断ち切るためのメサイア計画を考えました。

メサイア計画は私一人では実行できないため、理解者を集めなくてはいけません。


今の所、偽りの性行為による人生破滅を救う方法はアセンリングしかないのだが、私一人では手数が足りないので、メサイア計画を早期に実行したいものです。



メサイア計画の前段階計画。

クラウン計画 

ティアラ計画