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自閉症特化カウンセラー | 中央区・築地・東銀座・新富町

カウンセリングは瞑想的で安らかな対話を志します。ブログは説明のため論理的ですが、カウンセリングは感覚が大切だと思っています。

ここではあえて触れられたくない真実の声を書き留めてゆきます。人それぞれ人生は違いますので、自分に適したタイトルだけお読み下さい。

人を軽んじる人間はいつか必ず罰を受けます。その理由を今から説明します。

因果応報とはよく聞く話しです。
自分の行いによる償いは必ず訪れる。
ことわざにあるのでなんとなく理解はできるでしょう。

人は悪いことをすると、必ず罪悪感が芽生えます。脳が物理的に損傷していない限り、どんな悪党にも罪悪感は芽生えます。

罪悪感が芽生えると、悪いことをした相手やその相手に似た人物に対して、無意識に制裁を願う気持ちが生まれます。人を傷付けると優しい自分を肯定できなくなります。

無意識の制裁願望は、心を破壊してゆきます。どんどんエスカレートして、これでもかこれでもかと悪事に手を染めてゆきます。こんな自分は嫌だから誰か罰を与えてくれと本心は願っています。でも思考では、厳しい罰は受けたくないと反抗し続けます。

教会には懺悔室があります。罪を犯すことに耐えかねた人が訪れますが、もちろん気休めの懺悔にしかなりません。

そして限界に達した心は、あろうことか自分で無意識にミスを誘発し始めます。心が限界に達すると、もうこれ以上できないとブレーキをかけはじめるのです。最終的には自暴自棄となり、あからさまに逮捕されるような事をし始めます。

このように、人はどこかで償いというものを求めます。償いの形は様々です。罪を犯した分良い行いをしたり、利益を一人じめにする罪を犯した人は慈善団体に寄付をしたり。

罪を犯すことは自分を否定することになります。人間は人間同士助け合い、傷付け合わないように、神様がプログラムしてあります。どうあがこうとも、神様の定めた摂理には逆らえないのです。

私のアセンリングは、根底的に眠る罪の意識を救い上げ、どうしたらその罪が許されるのかを見つけることができます。私の見つけた懺悔方法に、今のあなたにできる懺悔方法を合わせるように対話を進めます。

罪を背おったまま生きるのは、自分にも周りにも害を与えてます。だからといって、自分のキャパシティを越える懺悔もできません。

あなたに合った罪の償いかたを見つけましょう。


自分はコミュ障だと思い込む程、まるでコミュ障と言われるような仕草になってしまいます。

思い込んでしまう原因は、無視されたり軽んじられたり否定されることです。

多くの場合は、ちょっとしたいじめから発生します。いじめられる方が悪いだとか、思い込む方がわるいだとか、そんなことは一切ありません。思い込むことが本人のせいではないとは、初耳の人も多いでしょう。

もし悪い方に思い込んでしまう可能性があることを誰かが言ったとき、誰しもが良い方に思い込むわけがありません。半々の確率で良くも悪くも捉えられるのが自然な現象です。本来ならば、悪く捉えらえられないように付け足す義務が、言った本人に発生します。その義務をおこたるというのは、まぎれもなく言った本人の罪なのです。

人を傷付けないという義務を怠ると、人間の協調性の歴史そのものを否定することになり、自分を否定する事なります。自分を否定することは相手を否定するということ。つまり、世の中は戦争になってゆきます。

人を傷付けないという義務を怠った人こそが内的コミュニケーション障害です。人間は手を取り合い、力を合わせてきたからこそ繁栄してきました。本当の意味でコミュニケーション障害の人は真逆の性質を持ち人を平気で傷付けます。そして、人を傷付ける行為は、伝染病のように感染してゆきます。

その伝染病を断ち切るには、あなたが食い止めるしかありません。自分が誰かに傷付けられたとしてもあなたの愛で連鎖を断ち切りましょう。人を傷付けることが罪であると知り、間違いを犯したら必ず正すことです。謝るのが一番ですが感情がおいつかないこともあるので、時間を開けておちついたら話しの補足を付け足して話してあげましょう。


愛と平和と繁栄を祈っております。


 


ストレス社会すなわち抑圧社会。ストレス発散法は沢山あると思われがちですが、最終的に行き着くのはセックスしかありません。または性的な何かを感じるもの。暴食など別の抑圧を生むものや薬物は除外とします。


セックスと抑圧は対極の存在です。肌を重ね、自分の全てを受け入れてもらえる快感は神の領域ですよね。しかし、女性特有の強要されたセックスにはお悔やみを申し上げます。セックスが人生の目的だと勘違いしてしまう男性は特に女性を理解していません。


目的がセックスになってしまうと、テクニックばかり学び、言葉に愛はなくなります。快楽に溺れ堕落した人生を送る人は、寝た人間の数だけを勲章にします。なさけないです。人を人形のように乱暴に扱ってはいけません。気持ちよければそれでいいなど猿並みの知力のままではいけません。


ストレスの解消法に限度があるならば、ストレスそのものを受けない精神を鍛えなくてはなりません。


若いうちからセックスに溺れ、精神を鍛える事を忘れてしまったらどうなるか。

年をとってセックスが無くなったら、とことん精神が病みます。自慢のセックスした人数の人達も年をとります。その自慢さえも価値が無くなります。つまり、残りの人生は何も無いんです。お金があれば風俗には行けますが、自分の哀れさに気づくのは時間の問題です。


抑圧の元凶となる人間は、ほとんどが男性です。なぜこのような社会になってしまったのか。理由は色々ありますが、誰もが気付いているはずだ、何かがおかしいと。


抑圧が増えるほど、世の中は乱交パラダイスになります。犯罪も増えます。抑圧の果てに、欲望と汚れの世界、破壊と衝動は止められないのです。抑圧に苦しんでいる人なら分かるでしょう。いつか必ず弾けるという事を。


心が弾けないようにセックスだけを求め、受け入れ先を探し続ける。受け入れてくれないからと相手を傷つけ別れの繰り返し。傷つけないテクニックを使ってごまかしても、事実的な心の傷は消えない。

そのままで本当にいいのか?私はそんな世の中を見ていて心を痛めてしまう。

私は堕落した猿並みの人間にはなりたくない。私は人間です。人間として愛のあるセックスをしたいです。綺麗事と言われようとも、綺麗事を言える余裕がある人が居なくなったら世の中は破滅するでしょう。


私のような善人が居なくなり、全員猿並みになってしまったらどいなるでしょう。想像してみてください、町中がサルだらけになるところを。


勝ち組と言われる贅沢な人間は猿並みの人間が多いです。なぜならば、勝ち組の人は勝ってしまったので、それが猿並だと気付けないのです。負け組は、必死にセックス相手を探すので、あからさまに猿並ですよね。勝ち組はセックスには困らないだけであって、猿並みに満たされているだけなのです。余裕があるから余裕がある人は余裕が無い。余裕がないのに余裕がある人が本当に余裕があるのです。


私がいくら警鐘を鳴らしても、まだ誰にも届かないでしょう。セックスしか頭に無い人は、年をとったら大変な事になります。特に、男性は女性を傷つけるようになります。

今のセックス団塊世代が年をとったらどうなるか、考えるだけでゾッとします。



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