前回から、マイケル・J・ローズさんの『真理を生きる』を少しずつ読み進めています。
前回は大ざっぱな本書のご紹介から始まり、第1章の「自己への目覚め」に少し入ったところで終わりました。
今回からはいよいよこの第1章に本格的に入っていきます。
前回、「私は誰?」という疑問を感じたマイケルさんが真理に出会うところまで進みました。
少し要約してみましょう。
34歳で「私は誰?」という疑問を抱いたマイケルさん。
それから15年間その答を求めて生きた結果、40歳になって「肉体を超えた世界の現実を経験」しました。
その経験をしたときに50歳までに自己実現すると決めました。
つまり50歳までに、その「肉体を超えた世界」の経験のままに生きると決心されたのです。
しかもそれができなかったら「死ぬ」とまで。
そして49歳と9ヶ月の時に実際に死ぬ経験をされた。
とても痛みが激しくいつ呼吸ができなくなるかわからない、そんな病状を抱えておられました。
その状況のまま生き続けることへの恐怖があまりにも激しく絶望的だったため、もう死ぬ方がいいやと・・・たぶんです・・・死を選ばれたのです。
白と黒、光と闇、生と死・・・激痛と恐怖の中で死の扉をくぐる方を選ばれた。
そして死・・・闇の方に進んだ結果は・・・まったく症状の消えた生へと蘇られた。
このことについてはマイケルさんの他の本で読んだ微かな記憶から書いているので、確かめたい方は探して読んでみてくださいね。
・・・で、マイケルさんの知ったこと、体験したことは何?
「私は自分をその死に委ねることによって、はじめて恐怖はペテン師であることがわかりました。」(14ページ)
「そして、おおいなる私(Self)に恋に落ちるという真理の経験をしたのです。」(14ページ)
*****
前置きが長くなりました。
さて、ここからマイケルさんの「真理」の解説が始まります。
まずは「情熱」について・・真理への情熱・・本当の私(Self)を知りたいという情熱。
そうしたご縁のない方がこのブログにたどり着くことはまずないと思うので、それがあるという前提で話しますね。
もし本当に知りたいならばあなたは自分のアイデンティティセルフ(self)をいったん忘れてくださいね。
マイケルさんはとても強い言葉で書かれています・・「真理の祭壇の前に」それを「差出し、真理を生きるために」「いけにえにできますか」(16ページ)
せっかくだから真理を知らないままでいいから・・・なんだかわからないけど「イエス!」と答えてくださいね。
だって、真理を知り、真理を生きることは「言い表すことのできない内なる歓び」を体験することだから。
そして、マイケルさんの人生でもある「自己実現」はその始まりに過ぎない・・・つまり歓びはますます大きくなるってことです。
「その情熱が導くところは我が家ではなく、それを超えたところなのです(16ページ)
これはね・・おそらくキリスト教を信じる人が例える神の家=我が家ということをなぞらえて言ってられるのだと思います。
讃美歌の中にこんな一節があります。
♬ 我に来よと主は今やさしく呼びたもう ♬ などて愛の光を避けて彷徨う ♬ 帰れや我が家に帰れやと主は今呼びたもう ♬
もしよかったら聞いてみてくださいね。
私の好きな讃美歌のひとつです。
でも・・・でも・・・マイケルさんはこうした「神の家」=「我が家」という概念を超えたところにあなたは導かれますよと言うのです。
ここで、ブロックがかかる人があるかもしれませんね。
宗教・・・これもあなたのアイデンティティセルフと共に差し出されるものです・・・残念ながら。
それはただ超えていく人にしかわからないものかもしれません。
それはそれでよし・・・宗教を持っている誰かを非難するものではないことだけは覚えておいてください。
もしあなたがこの情熱を持ち続けるならば「マインドや習慣が、その火を弱めようとして使うあらゆる障害を消滅させながら、情熱は大きく育って」(16ページ)行く・・・・・その消滅するものの中に宗教もあるということです。
ただ委ねましょう。
・・・ということで、セルフだのアイデンティティセルフだの言われてもチンプンカンプンですよね。
ここで、一応言葉の定義をしておきましょう。
定義をしたからといって理解できるものではありません。
何故なら、真理は頭で・・・言葉で理解するものではなく体験するものだからです。
でも、言葉でまず知っておかないと、まだまだ私たちって前へ進めないですよね。
さてと。
「私たちが生まれるとき、アイデンティティ(自己)を伴った肉体のかたちをとります。自身(self)であるたくさんの側面に、焦点を当てることを学びます。そして、本当の自身(Self)とその光の身体を無視するのです。」(16ページ)
「本当のあなたは、生まれることもなく死ぬこともないのです。」(17ページ)
どうやら、私たちが「私」と思っている私って、「本当の私」じゃないってことみたいですね。
だって、私たちには誕生があり死があるもの。
生まれてきて、成長し、今このブログを読んでいる私・・・そしていずれ死に往く私は「本当の私」がこの三次元で「心と感情と肉体の旅」をするためにとったかたちのひとつに過ぎないってことです。
え?何のためにそんなことをするの?・・いや、そんなことをしてるの?私が・・・。
「真理において、あなたはとても素晴らしい、肉体を超えた、多次元の光の存在」(17ページ)です。
「二極化の法則を通して、創造のルールを学ぶために肉体をまとっているのです」(17ページ)。
えーーーー!?!?!?
不死である存在、生まれることもない死ぬこともない存在である私が「本当の私」である「光の身体」に焦点を当てることをいったんやめて・・・。
この三次元の肉体のかたちをとって心と感情と肉体の旅に焦点を当てる。
映画館に入って強烈な映画に魅せられて、それが映画という非現実であることを忘れて一喜一憂してしまう・・・そんな感じでしょうか。
ただし、映画館の映画と違うところはそれが自分自身の創造であるというところです。
自分で創ったものは自分で体験する・・・すごいな・・・自己責任の世界です。
「あなたの今いる状況がどんなものであれ、あなたがその現実を創造したのです。もしよい状況にいるなら、すべてあなたがなしとげたことですし、不快な現実にいるのなら、すべての責任はあなたにあります。」(17~18ページ)
そうやって生まれ変わり死に変わり(こんな言葉あったっけ?)、自分の創造を生きている・・・それが私たちなのです。
「非難は忘れなさい。それは人生のもっとも大きな幻想であり、錯覚のひとつです。」(18ページ)
そうですよね。
私たちは自分の人生が自分の創作したものだなんて、ちっとも思っていないから、非難ばかりしていますよね。
今の状況でいえば「いつまでコロナ、コロナと自粛させられるんだ」なんてね。
もっと個人的な状況ならば「どうして、こんな目にあわなければならないの?」とか「私って運がないよね」とか、誰でもひとつやふたつは思い当たる節があると思います。
ところがそれもすべて自作自演だと。
・・・というか、ここまでのところでは書いてないけれど、少し種明かしをすると・・・。
自分で創った状況を自分で体験することで、創造しなおす。
そうした創造のし直しを繰り返すことで、本当に自分が体験したい状況に近づけていく・・・そういうことだと思えば救いがあります(笑)。
そういう自覚がこの肉体の自分に・・・三次元の状況に焦点を当てすぎることによって忘れ去られてしまったということが問題なのです。
何回生まれ直してもうまく創造できなくて、自分で創造し直せるということすら忘れてしまって、社会や親や周囲の人たちを非難する私たち。
真理を知るということは、どうやらここから始まるようですね。
YouTube動画神スピmegチャンネル「『真理を生きる』自己への目覚め②マイケルさんの本より」ではまた違った形でこうしたお話をしています。
動画でもう一度おさらいしてみてください。
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