先日、講演会でこんな質問がありました。


「ろう難聴の高齢者は、きこえる高齢者を受け入れることに抵抗はないんでしょうか」


私も昔はそう思ってました。


でもなー、私はそれは意外とそうでもないんじゃないかなーと思っています。


まず、それだけだときこえないスタッフの育成につながらないと思ってます。

それに感動も与えられないかと思うのです。


きこえない人同士でも人の好き嫌いはありますし、それを理由に休んだりします。

それで、きこえないスタッフが悩んだりもします。


一方で、私がきこえる若年性認知症の利用者を迎えに行くといつも言われる事があります。


副施設長の〇〇さんって良い子だよねー

気がきくし、いつも私を助けてくれる。

私がわからないといつも教えてくれるし、

気が回るよね。良いよねーあの子


もちろう、うちの副施設長は耳がきこえません。

でも、ひたむきな姿はきこえるとかきこえないとかを超越していると思います。


どうでしょう?障害の有無で線引きしているのは果たして誰なのか、考えていきたいと思う所です。