大山詣とは何か
先週と今週の土曜日(7月5日)、NHKのブラタモリで大山詣の特集が放映されていて参考になっている。しかしながら、江戸時代になって大山詣が江戸の庶民に人気が出たのは、恐らく、お伊勢参りが背景にあるのではないかと考えている。お伊勢参りは、関東圏内では20両/人ほど必要で、このような大金がないと誰もが参加しにくいという事情があったのだと思う。それに比べ、大山詣では1~3両/人ほどの格安の費用で体験できたのである。
ブラタモリで紹介された大山街道
源頼朝公の縁起をかついで奉納用の大刀をかついで参拝
あきる野市(東京)に伝わる大山詣とは
あきる野市に伝わる「儀三郎日記」には、男の子が成人に達する時期に親子で大山詣したことが記されている。あきる野市からの工程では往復一週間かかったと記されている。往復一週間の意味は大山詣の後に箱根の温泉を含めた行楽が含まれていた。
当時のあきる野市からの大山詣の工程 箱根まで続いている
神奈川県藤野から大山道が始まる
同じ場所に閻魔、庚申、二十三夜塔が建立されている
なぜ「大山」と呼ばれたか
「大山信仰」はもともとは「石尊大権現」として祀られていたものらしく、余り「石尊」について述べられたものは見当たらない。あきる野市においても、大山詣が行われていたにも関わらず「石尊大権現」の石塔は皆無である。現在の主尊は十一面観音になっているようであるが、腑に落ちない点が多々ある。
私の推察では「大山」とは「大山祇命(おおやまづみのみこと)」から派生したものだろうと考えている。大山祇命は山の神のことであって、各地に大山祇命は祀られている。檜原村(東京都)にも大山祇命を祀った神社があり、祠には「山の神」と銘打ってある。しかも、当時の領主、平山氏は戦勝祈願で大山祇神社に詣でているのである。神奈川にある「大山」にも源頼朝が戦勝祈願で訪れているので、檜原村の伝説と合致するのである。
檜原村時坂峠にある大山祇神社の鳥居
かつて、時の城主(平山氏)が戦勝祈願に訪れたという大山祇神社
祠の額に「山の神」と銘打ってある