山本有三はなぜ「路傍の石」というタイトルに拘ったか?
毎日暑い日が続いています。改めて暑中お見舞い申し上げます。
最近、石造物の調査も猛暑のせいで外出もままならい日々が続いています。
石造物を調べていると、何となく山本有三が描いた「路傍の石」とは何ぞや?という疑問が脳裏につきまとってきます。
古い映像をインターネットで調べて見ても、山本有三が強調している「路傍の石」は少年吾一の生きざまを小説化したものであって、子供たちが学校から帰る頃に集合する場所に石造物が2~3回ほど出てくるだけですね。
山本有三はなぜ「路傍の石」のタイトルに拘ったか
「路傍の石」は先人たちが遺した言葉のこと?
これまでにたくさんの石造物を調べてきましたが、路傍にある石造物たちにはそれぞれに先人たちが遺した言葉が伝わってきます。庚申塔には、庚申の日に寝ずに庚申講をやって天帝にお参りして過ごしました、寒念仏は新年が明けて小寒から大寒にかけて村人の女性たちが早朝にかけて村中をお経を唱えながら巡礼しました、等のメッセージが残されています。要するに、山本有三が伝えたかったのは、路傍に建つ古い石造物たちは、現代人の生きざまというものを静かに見つめています、という事を伝えたかったのではないかと考えています。
路傍に建つ石造物たちは静かに現代人の生きざまを見つめている