神社に祀られている「本地仏」とは

 

先に日高市の高麗神社と聖天院を訪ねた時に、両方に馬頭観世音像・塔が建立されていたことを記事にしていたが、私の知識不足もあって正確な説明にかけていたように思っている。正しくは、神社に祀られている仏像のことを「本地仏」と呼んでいるようである。この「本地仏」はインターネットで検索すると分かるように「本地垂迹(すいじゃく)説の流行に伴い、日本の神の本地とされた仏・菩薩」と説明がされている。要するに、祀られている神々は仏や菩薩の変身した姿で、古来から続いてきた神仏習合と同じ考えだと理解すれば納得できる。

 

高麗神社の前に建立されている馬頭観音像

 

古文書から読み解く「本地仏」

 

あきる野市(東京都)にある岩走神社(いわばしりじんじゃ)についても、古文書、武蔵名勝図絵には次のような記録が残されている。

「本地馬頭観世音坐像、かけ仏、神体丸鏡馬頭観世音像あり、銘文なし。毎年、七月七日の祭礼には、大般若経転読。導師は大悲願寺なり。」

 

武蔵名勝図絵に本地仏の紹介が出ている岩走神社

大般若経転読に登場する大悲願寺(写真は観音堂)

 

高麗神社と岩走神社に伝わる本地仏(馬頭観世音)の共通点

 

本地仏はインターネットで調べてみると、各神社で聖観音菩薩など様々な菩薩が祀られているが、高麗神社と岩走神社で共通しているのは、高麗神社は高句麗からの移民、岩走神社は信州高遠からの移民で、それぞれ、当時の朝廷が関与しているという点である。