なぜ石工たちは賤民(せんみん)扱いされたか

 

先日、あきる野市の伊奈石の会主催のツアーに参加してきたが、ツアーガイドの人が石工たちは賤民扱いをされ座頭(目が見えないアンマ師のこと)たちからも無視されていたと説明があり、参加者たちから何故そんな賤民的扱いをされたのか質問が多数あった。ツアーガイドの人も意味が分からずに説明したために回答に苦労していた様子だった。石造物の専門家と言われていても「石工」のことを多少理解されていないようなので私が少し補足説明した。

そもそも昔の人々が呼んだ「石工」とは石切り職人と石垣職人だったことが五来 重などの民俗学者によって説明されており、石仏などを加工する職人は含まれていなかった。ここが、石造物を勉強しようとする人たちには是非理解して欲しい知識でもある。

 

伊奈石の会による石切り場説明の様子

 

人為的に傷つけられた石材を「さし(指)石」と呼んだ

 

昔の人々は人為的に傷つけられた石材を「さし石」と呼んで、さし石を造り出す職人を忌み嫌って差別していたのである。この「さし石」は他にも、例えば人為的に焼かれた焼き畑のことを「さし畑」、「さし原」などと呼んでいたことからもよく理解できる。

 

「さし石」と刻印された力石