六部衆は全国行脚の修験僧のこと

 

江戸時代まで日本各地に法華経を日本の州(国)の数分66を書き写し、各地の霊場に奉納して行脚した僧の事を六十六部衆、又は簡略して六部衆と呼んでいた。明治時代になると修験自体が否定され廃止に追い込まれたので六部衆の事を知っている人は少ないと思われる。六部衆の事はこの程度のものしか資料が得られないが、恐らくは平安時代頃から全国行脚をやっていて、これが百番巡礼や四国八十八札所巡りに繋がっていったのではないかと思われる。下の写真は東京都あきる野市にある西光寺前の「六十六部供養塔」である。恐らく、このような六十六部供養塔のある寺院は、六部衆の修験僧の宿舎を兼ねていたのかも知れない。

 

安永4年(1775)に建立された地蔵タイプの供養塔

六十六部供養と刻印されている