百庚申とは何か?

 

庚申信仰は平安時代に中国から日本に月信仰と併せて伝えられたようである。月信仰では二十三夜塔が聖地まで道標のように続いているのが判明しているが、いっぽう、庚申信仰では詳しいことは伝えられていなかった。しかしながら、関東地方においては庚申塔を百基一堂に集められた「百庚申」が知られているが、内容については深く研究されて来なかったと思われる。この百庚申は男性が主に行っていたらしく東京都瑞穂町にその記録が残されている。要するに、月信仰では主に女性が聖地まで二十三夜塔に沿って巡礼し、男性は地域にある庚申塔百基の巡礼を行っていたのである。

 

 

百庚申巡礼には二種類あった

 

これまでの調査から判断すると「百庚申巡礼」は集合型と地域型に分けることができる・集合型は主に一か所に百の庚申塔を配置し、その中に一基の親庚申を建立するやり方であり、地域型はある地域の中に親庚申を一基建立し、残り九十九基は決められた地域に配置されているものである。

 

集合型の例(群馬県安中市)

 

一堂に百の庚申塔が配置されている

これが親の庚申塔

 

地域型の例

 

東京都西多摩地方(真福寺:福生市)に建立されている親庚申塔

この親庚申塔を中心に百庚申巡礼が行われていたようである。庚申塔の上部に種字

「ウン」(青面金剛)が刻印されているのが、親庚申の証である。。