身近にある「神明社」と「明神社」の違いにメスをあてる

 

私たちの身近にある神社の中で、「神明社」と「明神社」の違いが分かる人は少ないと思われる。

そこにメスをあててみたいと思う。

 

「神明社」とは伊勢神宮の分社

 

江戸時代の中頃まで伊勢神宮は朝廷や公家の人々のみが参拝できる神社だった。ところが、当時の国民の多くが伊勢神宮を参拝したいという願望が強く、そこで、伊勢神宮の近くに「飛び神明」という社を造ったところ、当時の人々が多数押しかけてきたということが伝えられている。明治時代になると神仏分離令に伴い各地で祀られていた権現様や稲荷社などがその時に「神明社」や「明神社」に名前が変更されている。

 

各地にある神社の多くが明治時代に名称が神明社などに変更されている。

 

「明神」は「明つ神」が語源

 

いつの時代かは定かでないが、天皇のことを「明つ神(あきつかみ)」と呼んでいた。(天照大神と前方後円墳の謎:大和岩雄)

この「明つ神」から「明神」が派生し各地に明神社が建立されるようになったのではないかと述べられている。また、古くはこの世(日本)のことを「秋津」と呼び、あの世の事を「奥津城(おくつき)」とも呼んでおり、この「秋津」は元は「明つ神」から派生したのではないかと考えている。

 

各地にある「明神社」は「明つ神」が語源

 

墓標に「三内家奥津城(あの世)」と刻印してある例