日本史に残る三大ミステリーとは

 

以前、ここのブログで日本史に残る三大ミステリー(①銅鐸が姿を消した、②板碑が姿を消した、③地蔵の首が切られた)というものを紹介したが、銅鐸が姿を消したのが飛鳥時代、板碑が姿を消したのが戦国時代であって、この①と②の事件は今から400年以前の出来事なので真実を探るのは非常に困難だと思われるが、少なくとも③地蔵の首が切られたのは明治維新以降の神仏分離令が出された時の暴漢による打ちこわしが背景にあると一部の郷土史などに触れられている。しかし、少なくとも昭和時代の輩たちは自宅の仏間には必ずと言ってよいほど神棚と仏壇があったことはよく覚えている。これが所謂、神仏習合の形で会って明治時代の人々の宗教思想も同じだったと考えられる。

 

何故、地蔵の首は切られたのだろうか?

 

 

首無し地蔵を調べていくと分かると思うが、地蔵の切られた首のところに代替として丸石が置かれているものをよく見かける。この姿かたちから、同じく時の明治政府から発布された「淫祠邪教(いんしじゃきょう)禁止令」というものが背景にあったのではないかと考えることができる。すなわち、神社では丸石(又は石神)の代わりに天照大神の鏡が必須となったために、各地の神社では丸石の処遇に頭を悩ませたと考えることができる。その結果、各地では地蔵の頭を切ってそれを土中に埋め、代わりに神社で祀っていた丸石を置いた、という推理である。

 

神社の一角に安置されている丸石