地域が源氏と平氏に二分されていた
先に述べたように江戸時代までは当時の民衆は源氏と平氏に色分けされていたのが理解されたと思う。東京都あきる野市は江戸時代までは阿伎留郷と呼ばれていたが、石造物を調べていくと東と西で当時の郷が源氏と平氏に色分けされていたのが分かってきた。その中心となっているのが図に示すように山田地区(源氏)と戸倉・星竹地区(平氏)である。
源氏と平氏の聖地目印は墓地にある寒念仏塔
この源氏と平氏の聖地の鍵になるのが寒念仏塔である。この寒念仏塔は郷を二分するように東西にそれぞれ一か所ずつ共同墓地にあり、三か村で建立されているのが特徴である。
山田地区にある寒念仏塔(元禄11年:1698年 山田村、網代村、引田村)
戸倉地区にある寒念仏塔(明和4年:1767年 西戸倉邑、坂下邑、星嶽村)
墓地には稲荷社が祀られている
この二つの聖地に共通してみられるのは「稲荷社」があることである。
山田地区にある源氏の聖地。寒念仏塔付近に稲荷社が祀られている
戸倉地区にある平氏の聖地。墓地の一角に稲荷社が祀られている