明治政府が発令した淫祠邪教(いんしじゃきょう)禁止令とは

 

明治維新後に明治政府が発令した神仏分離令は、いってみれば、宗教界にとっては一種のパラダイムシフトが起こったと考えても過言ではないと思われる。

この淫祠邪教は読んで字のごとく「淫らな祠や邪教」のことで、特に被害が顕著だったのは各地の神社に祀られていた石神(いしがみ/しゃくじん)だったのではないかと思われる。多くは直径20cm程度の丸い自然石で、江戸時代までは多くの神社でご神体とされていたのはこの「石神」だったからである。ミステリー・ストーン(徳井いつ子:筑摩書房)によると、時の明治政府により発令されたのは、それまで崇拝していた石神(又は丸石神)を天照大神のご神体となる丸鏡に変更を強要されたようである。若し、明治政府の要求に反発するのであれば神社としての資格を失ってしまうので、当時の人々はしぶしぶ禁止令を受容するしかなかったのである。

 

石神たちの末路

 

各地の神社を散策されている方には是非、境内のあちこちに目をやってほしい。この石神たちが必ず目に留まるはずである。

明治の初め、淫祠邪教禁止令が出された当時の人々は、ご神体であった石神の処分に困り果てたと思われる。処分しろと言われても素直に処分できる人々はいなかったと思う。各地の神社は境内の小さな祠などに石神を遷座させることを進めたようである。

 

境内の隅に安置されている石神の例

 

明治政府によって天照大神のシンボル(鏡)をご神体とするよう指示が出された