炎が無いところに煙はたたない

 

最近は各地の金銀埋蔵伝説は殆ど耳にすることは無いが、昭和50年代には一大ブームがおこりテレビ番組でもよく取り上げられた記憶が残っている。その金銀埋蔵伝説のひとつが東京都檜原村に朝日伝説として伝承されている。「沢又には朝日伝説という金銀埋蔵伝説がある。朝日伝説というのは便宜、私がそう呼んだので、そういう名で伝説されているのではない。地下に埋蔵の金銀がある。その埋蔵の場所は【朝日さし夕日かがやくその奥に行って帰って杖の下】という歌で示されているのだが、まだ誰も歌の謎を解いた者がなくて金銀は埋められたままだといわれている。そして、この金銀は檜原城主が生き残る我が子のために城に伝わる金銀を沢又地内のどこかに埋めたのだという方向に謎を解こうとしている伝説である。」(檜原・歴史と伝説 小泉輝三朗)

炎が無いところに煙はたたないという諺があるように、石造物の世界からこの謎解きに挑戦してみよう。

 

時坂峠に朝日伝説を求めてみる

 

朝日伝説に出てくる「朝日さし夕日輝くその奥に行って帰って杖の下」から、金銀埋蔵伝説の地は山の上だというのが分かってくる。また、行って帰るという文言から人々が日々歩いている道だということになる。時坂峠道は古来、甲州古道と呼ばれた道であり、甲州と武州を結ぶ重要な行商の道でもあったのである。

 

時坂峠道(浅間林道)から麓の檜原小学校を望む

 

時坂峠道には朝日伝説謎解きの場所(赤丸)がある

 

伊龍神社の不思議

 

先ず、麓から時坂峠に向かう入り口にある伊龍神社の存在である。現在は小社であるが、江戸時代の寛文検地(御水帳)に「伊龍権現社権現免8畝21ブ」と出てくる。1畝(セ)は現在の坪数に換算すると約30坪なので、250坪ほどの敷地に権現社があったということになる。結構、中規模な社が建立されていたことになる。また、この「伊龍神社」も不思議な神社である。一般的に地方にある氏神社は京都やその他本社と呼ばれる神社にルーツを求めることができるが、この伊龍神社はルーツの神社に辿りつくことができない。インターネットで調べてみると伊龍という人々のところに辿りつく。すなわち、この伊龍という人々がその昔、檜原村にやってきて社を建立したということになる。しかし、この伊龍神社は明治44年(1911)老朽化が進んで解体され、近くの貴布禰神社に合祀されている。いつの時代か定かではないが、この地から伊龍一族が姿を消したということが想像つく。誠に不思議な神社が時坂峠の麓に祀られていたのである。(続く)

 

現在の伊龍神社。小さな祠が残されているだけである