開発による民間信仰の破壊

 

よく石造物を調べていると道路工事などの開発によって一堂に集積された石造物群を見かけることがある。これらは当時の民間信仰などを調べるうえでの生き証人でもあるが移設によって詳細なことが分からなくなってしまっているケースが多い。下の写真は檜原村北谷側の宮ケ谷戸の集積型石造物の例であるが、新石仏研究ではこのような集積型の中から当時の面影を解明することにも注力している。

 

                路肩に集積された石造物群(檜原村宮ケ谷戸)

 

万霊塔から分かること

 

寺院を訪れると境内から墓地に入る入り口にあるのが「三界万霊塔」であり、墓地入り口の結界石になっている。いっぽう、「万霊塔」については寺院の門前などによく建立されているので、その昔、お寺かお堂が近くにあったことが推測できる。

 

            万霊塔は近くにお寺かお堂があったことを示している

 

橋供養塔から分かること

 

橋供養塔は橋を架けたときに供養の為に建立したものであり、近くに江戸時代に架けられた橋があったことが分かる。

 

                       地蔵が刻像してあるのが「橋供養塔」

 

二十三夜塔から分かること

 

二十三夜塔はこの地が巡礼地であったことを示している。

 

           二十三夜塔でこの地が月巡礼地であったことが分かる

 

寒念仏塔から分かること

 

寒念仏塔(向かって左)は近くに遺跡や墓地があったことを示している。

 

              寒念仏塔は遺跡や墓地の目印なので要注意である

 

聖徳太子塔から分かること

 

聖徳太子塔はこの地にかつて杣(そま)などの職人集団がいたことが分かる。

 

                          聖徳太子は職人たちの神さま

 

以上のように集積型の石造物を見るときに当時の民間信仰などを読み解く判断材料になる。