かつて【百庚申巡礼】があった
西多摩地方には【百庚申】、すなわち庚申塔が百基集結した場所のことであるが不思議なことに一か所も確認されていない。明治大学博物館友の会 蕨 由美によると千葉県内に42例が確認されているという。また、印西市の百庚申の説明によると、百庚申は「より多くの塔を建てることにより、より多くの功徳を得たいという人々の気持ちの表れ」だと説明してある。【百庚申】が千葉県内に集中していることから、【百庚申】の聖地だったと推測することができる。
いっぽう、西多摩地方では瑞穂町で明治2年に【百庚申巡礼】があったと「多麻史談」に掲載されている(新多摩石仏散歩 たましん地域文化財団)。そうすると【百庚申巡礼】は地域の庚申塔百基を巡る巡礼なので時間と手間がかかる。この難問を解決するのが【百庚申】の存在なのではないかと考えることができる。【百庚申】の祭場に行けば一日で百の庚申塔を巡った功徳が得られることになるからだ。
千葉県流山市の【百庚申】(フリー画像参照)
かつては地域の庚申塔を巡る巡礼が行われていた