塚は縄文人が造ったもの

 

石造物を調べて各地を訪ねてみると、結構、塚のある風景に出合うことがある。考古学の世界でも塚の研究はされているようであるが、一体全体、塚は何のために築かれたのかよく分かっていない。大悲願寺日記(東京都あきる野市教育委員会)に当時の住職が「遺跡供養」というものを行っているのが記録に残っているが、恐らく、近くにある「将軍塚」の供養を行っていたのではないかと思われる。この「将軍塚」は道路の拡張工事の際に発掘調査が行われているが人骨などは出土しておらず、代わりに多数の割られた瀬戸物が出土している。人骨が出土していないのは長年の酸性雨によって溶けてしまったのかもしれない。また、穴沢天神社(あきる野市深沢)は奥の院の裏が塚になっているので、この塚が神さまのご神体だろうと考えられる。「塚」、この不思議な造形物は古代人の祭祀場跡なのではないだろうか。

 

          「将軍塚」(あきる野市引田):寒念仏塔が建立されている

桜辻(あきる野市留原)にある塚:庚申塔、百番塔などが建立されている

      穴沢天神社(あきる野市深沢):奥の院の後ろが塚になっている

               山王さま(あきる野市横沢):塚の上に神社がある