武蔵名勝図絵に出てくる妙台寺

 

東京都あきる野市網代地区には妙台寺伝説が残されている。この妙台寺というのは戦国時代のころ寺領500石という所領を与えられていた大寺院であったが天正年間のころに上杉軍によって焼き討ちにあい消滅したと伝えられている寺である。寺領500石というと近隣の有名な寺院でも40石程度だったので、いかに規模の大きかった寺院であることが分かる。

現在、NHKの大河ドラマ「麒麟が来る」に登場する比叡山延暦寺を信長の命により明智光秀が焼き討ちする場面があるが、この時代は元亀2年(1571)のころなので不思議なほど焼き討ち事件が同じ時代として交差する。武蔵名勝図絵のなかにこの妙台寺事件のことが少し触れられているので、今年調査を行った。武蔵名勝図絵によれば、焼き討ちされた妙台寺跡は、今は山林となっており、その中に壊された石造物などが散乱しているということである。

 

網代三山と引谷山

 

この妙台寺は山号が「引谷山」なのであるが、現在は引谷川の名は残っているが引谷山の名前はどこにも見当たらない。因みに、現在呼ばれている網代三山は「網代城山」、「弁天山」、「花見山」である。

 

                          ?マークの山は山の名前不詳

 

妙台寺跡の痕跡を探す

 

その1.鍵を握る網代温泉

 

網代地区には「門口」という地名があり、多くの人々がこの近くに妙台寺があったのではないかと考えているようであるが、私の場合は網代温泉の界隈である。この網代温泉は古くから知られており数年前まで営業していたようであるが、現在は廃業している。また、戦国時代の頃の湯屋風呂というのは時宗系の寺院で経営されていた(太平記の世界 佐藤和彦)と言われていたように、ここに寺院と温泉の関係も見え隠れしてくる。

 

 

                             廃業した網代温泉の廃屋

 

その2.貴志嶋神社に奉納されている手水石

 

この手水石は貴志嶋神社本殿前に奉納されているもので、ここに引谷山妙台寺の銘が刻印してある。

 

その3.網代温泉近くで発見した石造物の破片

 

武蔵名勝図絵で紹介されているように、網代温泉界隈を探索すると石造物の破片らしいものが道端に散乱している。

           これは舟形と呼ばれる石仏の痕跡がみられる石の破片

 

以上のように石造物の知識があると、廃寺跡などの探索の際に推理しやすくなるのも面白いものである。