両墓制とは何か
両墓制というと現代の人々は余り聞きなれない言葉であるが、江戸時代まで一般庶民は寺院に死者を埋葬したり墓石を勝手に建てることができなかった。墓石を寺院などに建立できるのは寺の大旦那と呼ばれる名主たちや格式の高い人々だけに限られていたのである。理由は寺院というのは神聖な場所というのが背景にあって死者を埋葬する場所でなかったからである。そこで、昔の人々は下の絵にもあるように通称先祖代々の「詣墓(まいりばか)」というのを各家ごとに持ち寄って寺院の敷地内に建立し、亡骸は「捨墓(すてばか)」や「埋め墓」と呼ばれる村の共同墓地に埋葬したのである。もちろん、「捨墓」にも墓石の建立は許されていなかった。寺院の敷地や霊園と呼ばれるところに一般の人々が墓石を建てることができるようになったのは明治以降の話である。
詣墓には二種類ある
この詣墓にはタイプが二種類ある。ひとつはピラミッド状に積み上げられた「塔型」、もうひとつは平面に配置された「平型」である。当初は詣墓は全て「平型」であったが、明治9年ころに福田(ふくでん)会がピラミッド状に積み上げたものが全国に広まったようである。
「塔型」の例
「平型」の例
「捨墓」の見分け方
この「捨墓」の例は「桜株」や「鳥部」と呼ばれるところに多く見られる。この「捨墓」はよく熟知していないと地域の開発などのときに見誤ると大変なことになるから注意が必要である。尚、寒念仏のところでも述べているが、このような場所には寒念仏塔が建立されている場合もある。
「桜株」の例
このように「桜株」と表示してある場所は分かりやすいが、表示がない場合は桜の木の近くに寒念仏塔などが建立されている場合もある。
「鳥部」の例
多くがこのように二体の地蔵を墓地の前などに建立しているので見分けやすい。