日本の宗教の歴史においては神仏習合と神仏混淆という二つのキーワードが必ず登場する。多くの説明ではこの二つのキーワードについては同じものだとする解説が多いが、石造物を観察して見て回っていると若干違っていることが分かる。すなわち、「神仏習合」はその名の通り神さま、仏さまを並べて祀る、昔はどの家でも神棚と仏壇があって人々は分け隔てなく神仏に敬意を表していたということである。いっぽう、「神仏混淆」というのは、神域や仏域が分けられている聖域に、神域には石仏、仏域には石神というのをわざわざ交換して配置して両者の絆を表現しているのではないかと考えている。

 

 

神仏習合の例

 

下の写真は神社とお堂が同じ敷地内に建立されている例である。明治時代の神仏分離令のとき、このお堂は神社名に名前を変更して難を逃れている。

 

神仏混交の例

 

神仏混交とは神域と仏域に分けられている聖域に、それぞれ神域には石仏、仏域には石神というのを交換して配置するという考え方のようである。

 

 

実際の例

 

神社の近くに庚申塔(青面金剛刻像)が配置されている。

(この場所に猿田彦大神があるのが本来の姿)

 

お寺の近くに庚申塔(猿田彦大神)が配置されている。

(この場所に青面金剛の庚申塔があるのが本来の姿)