祭り本番よりも、祭りの下準備をしてる時の方が好き。
本番の場では、いくらでも素の自分を隠すことができるけど、「日常」の場では色濃く人間性が垣間見れる。
だから、かつての仕事仲間達が、たまに飲みに行くだけの関係になっちゃうのがとても寂しかったりもする。
そこらへんが教師続けてる理由かもね。
(家族や友達を除けば)生徒の「日常」を共有できる一番究極の仕事だからね。
祭り本番よりも、祭りの下準備をしてる時の方が好き。
本番の場では、いくらでも素の自分を隠すことができるけど、「日常」の場では色濃く人間性が垣間見れる。
だから、かつての仕事仲間達が、たまに飲みに行くだけの関係になっちゃうのがとても寂しかったりもする。
そこらへんが教師続けてる理由かもね。
(家族や友達を除けば)生徒の「日常」を共有できる一番究極の仕事だからね。
公立中学だと、偏差値30から70の子まで一斉に同じ授業を受けてる。
たとえばトップの子からしたら、1分で分かる内容を50分延々と聞かされる。言うなれば、超スロー再生の動画を見せられる。
しかも内職NG。姿勢悪くしてもNG。飲食ももちろんNG。(内申に響くから)
逆に、最下位層に沈殿してる子、基礎の基礎まで嚙み砕かないと分からない子は、50分聞いても分からない内容を延々と聞かされる。これもこれで苦痛。
要は、レベルに応じた指導ができない。誰も幸せにならない。
自分自身が公立中学出身なのもあり、中学受験は親のエゴだと昔は思ってた。だけど最近は少し考えが変わってきた。
できる生徒からしたら、そんな地獄のような環境で勉強に身が入るわけがないんだ。
できない生徒もまた然り。手厚く基礎から少人数でサポートを受けた方がいい。
逆に知的好奇心がある生徒、闘争心がある生徒は、公立でお山の大将になるのでなく、上には上がいる私立にガンガン叩いてもらって伸ばしてもらえばいい。
それでも物足りないのであれば、鉄緑だのなんでも行けばいい。私立にはそういう環境、そういう人脈、そういう発想がある。
それでも依然として中学入試には反対派ではあるけどね。
小5や小6の遊びたい盛りの時期に、缶詰で知識を叩き込むのはやっぱり嫌悪感がある。いくら生徒自身が勉強が楽しいって言っても、それ親に言わされてるだけでしょとか思っちゃう。理屈ではなく感情。
公立でレベルに応じた教育ができれば丸く収まる気がするんだけどな。
でもそうなるとスクールカーストがよりクリアになっていじめにつながったり、基礎すら怪しい生徒が見栄を張って上位クラスに行こうとしたり、教育に資産を投じられるかどうか(=親の経済力)が可視化されたり、問題点はてんこもりか。
難しいね。
生徒がやる内容を「学校(や塾)がガチガチにやることを管理する」ことと「自分で必要なことを取捨選択する」ことのバランスは難しい。
前者を強めすぎると依存体質に、後者を強めすぎると放置になりかねない。
とみに思うのが長期休み。
受験学年は当然勉強に費やすだろうから、それ以外の学年のこと。
4月~7月は結構ハードなマラソンを続けてるわけだから、どこかで消化不良を起こしているはず。休もうとしても、授業は休んでくれないし。
だから、長期休みはそこで抜け落ちた部分(個々によって違う)の補強をしてほしい。
そして、休みだからこそできる経験を多く積んでほしい。勉強に限らず。というか長期休みくらい勉強なんて休め休め
そういう考えだから、俺個人としては、一律に大量の「夏休みの宿題」を課して、強制的に机に向かう習慣をつけさせることには懐疑的。
それだと、教師が不在なだけで、平常授業となんら変わりない。
常に全力で神経をすり減らしてきた上位層にとって、夏休みは貴重な休息タイム。
でも逆に最下層にとっても、長期休みはある意味チャンス。ウサギ達が一息ついてる間に巻き返せる。
でも「夏休みの宿題」を与えてしまうと、ウサギ達も休むことなく走り続けることになるから、差は縮まらない一方。
どっちも幸せにならないなーなんて。
いやまぁ、理想論としてはウサギもカメも常に全力でダッシュさせ続けろってことなんだろうけどさ。なんか腑に落ちない。
いっそのこと、「夏休みの宿題」はゼロでも良いと思うんだけどね。自分でやる勇気はないけど。
最近、教育はビジネスだと割り切って考えるようにしている。
少なくとも、教師=聖職者という認識は、早急に捨てられるべきだと思う。
そりゃ、子供にある種「洗脳」を行う立場上、特殊な配慮は必要。
(不用意に信頼関係を損なう言動を親が吹き込まない、とかね)
社会の大事なインフラを担うという側面もある。
公立の場合、報酬は「お客様」から対価という形で受け取るのでなく、税金から支払われる。
顧客満足度が低くても高くても何事もないように仕事は続いていく。
そういった職業の特性を考えると、ある種特別な配慮が必要だとは思う。
だけど、特別扱いされるべきではない。
あくまでただの職業、ビジネスに過ぎない。
(「おたんこナース」でこんな話あったな。看護はあくまでサービスに過ぎない、という考え方。俺はそれに近い。過度に肩入れするべきではない、生徒のゾーンと教師のゾーンが曖昧になるのは良くない、と考えてる。金八先生的な教師像は今の時代とそぐわない、と。まぁそれは俺の場合油断してるとすぐに肩入れしちゃうから、自戒を込めてるだけなんだけど)
要は、教育産業だけが特別扱いされるのはおかしいってこと。
なんでこう思うのかって言うと、最近こんな主張をよく見るから。
①「教師だけやっている人は社会知らずだ。一般企業経験者はちゃんとしている。民間企業経験を必須にするべきだ」
②「教育実習は現場に大変な負担がかかる。だから生半可な気持ちで臨むべきではない。教職を目指さないのであれば、教育実習を受けるべきではない」
①の理屈は分からんではない。キャリアアップのために他の会社に転職するだとか、一般企業で勉強してからベンチャーや起業を始めるなんてのは最近珍しくもなんともないから、
けど、それってつまり「一般企業は教職のための踏み台にしてもOK」ってことだよね。
その点が②と強烈な矛盾を感じるのだ。
将来的に離職を前提で一般企業に就職するのって、不義理なんじゃないか。それって「教員志望じゃないけど一応教育実習行っておくか」的な考えと、根本的には一緒。
民間企業は踏み台にしてもOKなのに、教員免許を保険として持っておくことは許されない。それっておかしくないかな。
なんか「教育は特殊なんだ!だから特別扱いを受けるべきなんだ!」みたいな考えが透けて見えて、気持ち悪い。
こういう指摘をする人が少ないことが一番気持ち悪い。
今日はなんか衝動的にCoCo壱に行きたくなって、なんか衝動的にライス400g+トンカツトッピングというドカ食いして。
そんで帰ったら急激に眠くなって、2時間ほど寝て、気付けば22時。
普段であればそのまま寝落ちしてるんだけど、そこからリングフィット&フィットボクシングしたのは、意志クソ弱い自分にしては偉い。
誰か褒めてください。
「2日に1度リングフィット&フィットボクシング」チャレンジは、なんだかんだでクリスマスから20日ほど継続できてる。
プランクとか超キツいけどな!
体重はなかなか減らないけど(食事量が減ってないから。これはゆくゆく改善予定)、少なくとも日常生活では息切れする機会が減ってきた。
体力は間違いなくついてる。あと多分筋力も。