「シン・エヴァンゲリオン 劇場版」 | 雑踏に紛れて

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風の吹くまま、雲の赴くまま、常に過ぎ行く刹那、
闘うナルシスト、エゴイスト、ギタリスト、
日々の状態や思うがままの主観、

 

 

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

 

155分。

 

なんと2時間半。

これで本当に終わりなんだな、ってなんとなく切なくなるけれど、

2時間半の大作なら納得もできよう。

 

マジでケツが痛くなって大変だった。

これは絶対にDVDを買って、家でゆっくり見直すこと決定。

 

もう随分待った。

実際コロナの関係で公開が遅れに遅れたけれど、

そんなの関係ないくらいみんなもう待つ覚悟はできていたような。

 

これで20数年に及ぶエヴァのファンは、

ついに解放されるのだ。

 

嬉しかった。

なんというか、きちんと納得できたかというと、

うん、まぁ、そうだね、納得できたと言っていいと思う。

 

庵野さんが僕らをちゃんと卒業式に連れてってくれて、

送り出してくれたような、そんな気持ちになった。

 

スタンディングオベーションとか、そういうんじゃなく、

特別涙だったり拍手だったり、そういうんでもなく、

静かに幕は降りた。

 

でもちゃんとスッキリしたということは、書いておかなければならない。

色々思うところはあるし、

正直1から10まで理解したのか?と言うと、

甚だ疑問だったりするわけで・・・。

 

序破Qはきちんと見直して、それから臨んだ。

それでも、やっぱり何度か見直して、ちゃんと理解を深めていきたいのだ。

 

そうしないと、最終的には自分の中で卒業ということには、

ならないのだろうね。

 

まぁ、僕は本当になんというか、うまく言えないけれど、

この切なさに中に、真の意図というか、そういう制作側の意志を、

汲み取れたと思っている。

 

うん、万感の思いで終局を見た。

 

そりゃもうここまで歴史的な作品である。

ほとんどガンダムとかそういうのに匹敵する作品だと思っている。

ガンダムなんて、今度5月に「閃光のハサウェイ」があるくらい、

まだやってるっていうのが凄すぎるのだけれど、

エヴァも勿論、そこにガッチリ食い込むくらい、僕の中では、

思い入れの強い作品なのだ。

 

ついこの間、鬼滅が社会現象を巻き起こした。

エヴァも当時そうだったね。

 

しかし、これがこんな深く長く愛されることになろうとは、

その時はまだ思ってなかった。

 

そりゃ難しいし、そう簡単にまるっと理解できるようなものではないと、

僕は思っているのだけれど、

その分、コアなファンがしっかりついたのだと思う。

 

僕自身、そんなに理解力がある方ではない。

ちょっと難解な感じになると、もう置いてけぼり・・・。

 

何度も見て、あぁ、そうかと、じわじわと理解していくタイプ。

なので、今回の劇場版は必ず再戦すると誓ったのだ。

 

ただ、シアターでもう一回観るのは、ちょっとつらい。

後半本当にケツと腰が痛くて、じっとしていられなかったから笑

 

そうでもなければ、続けてもう一回観ていたことだろう。

それくらい、終わるのがもったいなくて、

エヴァロス確実な気がしたのだ。

 

TV版のDVDからまた見直したい。

旧劇場版だけがないのだ。

これは、まだ少し置いといていい。

 

とにかく、このシンエヴァンゲリオンまでの展開を、

もっと正確に、できればもっともっと深く掘り下げて理解し、

一生忘れないくらいの自分の足跡にしたいのだ。

 

インパクトあったなぁ。

そう、いくつものインパクト、まさにそのもの。

 

そして、とてつもない切なさ。

結局は精神論なんだけれど、

それはどんなに歪だろうが何だろうが、

ひとつの愛の形として、心に傷のように刻まれる。

 

半端に観てたら、それまでなんだろうな。

本当にえぐられるような思いと思いのぶつかり合いだった。

 

それはもうあの槍のように、グサグサと僕の気持ちに、

突き刺さり、切り裂いた。

 

最早傷のようだった。

 

痛みを感じた。

 

僕自身のATフィールドなんて、あっという間に木っ端微塵だ。

それくらいの驚異的なパワーで僕の存在を押し退けた。

 

だって、もう抗いようがないじゃないか。

あんな風に人は生きられるのか。

そんな風に人は生きてもいいのか。

 

答えは最初っから決まっていたようで、

実はそこに気づくのは最後の最後だったりする。

 

だから僕はこの思いを忘れない。

強すぎるほど鮮烈な映像やセリフの一つ一つを、

きっちり自分の中に収めるまで、

なんどでも記憶の上書きをしようと思うのだ。

 

そうしなければ、そうしなければ、

僕はきっといつか立ち行かなくなる。

そういう気がするのだ。

 

観てください、観たほうがいいですよ、面白いですよ、

なーんて、僕は決して言わない。

 

だって、これは個人的な闘いみたいなものだから。

ちゃんと卒業させてもらえたのだとは思う。

 

だから、今度はそれを反芻して、

はっきりと思い出として昇華させなければいけない。

 

それが僕のオトシマエ、ってやつなんだろうな。

ここまで思い入れて、待ちに待って、そうして得た答え。

 

人って、どこまで強くなれるんだろう。

いじけていれば、いつか変われるのだろうか。

そんなことは誰にもわからない。

 

でも、僕は思う。

その先、っていうもの、常に明日があることが、

どんなに素晴らしいことなのかって。

 

だから僕も諦めないことにした。

メッセージ性なんてどうでもいい。

その感じ方は千差万別。当たり前。

 

だから、僕も進もうと思う。

 

 

 

 

そうだね、どんな未来でも、

自分から手を伸ばせるように。