「鬼滅の刃 無限列車編」劇場版 | 雑踏に紛れて

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闘うナルシスト、エゴイスト、ギタリスト、
日々の状態や思うがままの主観、

 

 

「鬼滅の刃 無限列車編」

 

117分。

 

 

何だよって、今さら感満載なワケなのだが・・・。

実は公開されてすぐに観に行った。

 

とんでもない社会現象を巻き起こした、鬼滅だけれど、

そりゃもう、TOHOでスクリーン1~6までを埋め尽くすほどの人気ぶり。

 

ビビったね、

映画館って基本的に平日の昼間にしか行かないし、

基本的にコロナだなんだって騒ぎ始める前から、

混雑を避けて観に行っているんだけれど、

それでもこんなのって、オイオイみんな会社や学校はどうした、って。

 

まぁ、そんな勢いだから興収がとんでもないことになって、

歴代の記録を塗り替えちゃったりしたわけで。

 

取り敢えず、そういう社会現象になる前に、

「ちゃんと」TV版を観ていた僕は、ふっつーに劇場に観に行った。

勿論感染対策は十分にして。

 

それでじゃぁ、ここに一体何を書こうというのだ、と、

ぼんやり思ったりして、ちょっと頭を傾げている。

 

だって、もうそこら中、いや、殆ど目にするメディアの8割方を、

鬼滅一色になってた、ついこの間までに、

既に語られることは全て語り尽くされて来たと思うのだ。

 

本当にどんな角度からの感想や考察や批評なんかは、

出尽くしているし、しかも片っ端からそれらを読んできた僕には、

最早書くことなんて残ってないのだ。

 

それに、観てから時間が経ってしまって、

何やら記憶も曖昧になりつつある。

 

当然ながら設定や展開、オチなんかは語るべきところもない。

序でにほぼほぼ僕なんかが考え得るどんな分析や考察も、

もう書くべきことなんて少しも残っていない。

 

だからあんまり意味はないのだ。

とにかく観に行った、という記録がここに残ればそれでいい。

 

ま、せっかくなので、ちょっとだけでも思ったことを書いておこう。

どうせ個人のブログなんだから、誰にケチをつけられるようなこともなかろう。

 

 

というワケで、無限列車はTV版の続きとして描かれる。

どんなもんだろう、勿論期待してたし、騒がれる云々以前に楽しみにしてた。

 

映像的にはそんな絶対劇場で観たほうがいいよ!って言う感じではない。

ただやっぱりあぁいう場にいてこその、感情移入のし易さみたいなのはある。

ボロボロ泣いている人、・・・うーん、確かにいたけど、

ホロリって感じの人の方が圧倒的に多かったような。

 

映画の構造は二重になってて、下弦の壱、「魘夢」の操る無限列車、

そして、その後に待ち受ける、炎柱、「煉獄杏寿郎」と、上弦の鬼「猗窩座」との死闘。

 

何だか、炭治郎たちの話より、煉獄さんの方がずっと大きく話題になって、

そりゃそうだろうとは思うのだけれど、これはやはり二段構えが必要だったのか、

と思わないでもない。

 

猗窩座の圧倒的な力に、流石の煉獄さんもあんなことになってしまうワケなのだが、

そりゃ反則技連発、ありえない設定の前には、ヒーローも何もない。

 

どんなに正義を応援しようが、勿論あのエンディングしか選択肢はない。

 

鬼滅はやっぱり、絶対悪、しかも人間ではないものが厳然と存在し、

そこに立ち向かう非力な人間たちが、折れない心だけを頼りに、

多くの犠牲を払いながらも立ち向かい、勝利してゆく、

この王道にこそあらゆる意味が押し込められ、支持されて来たんだと思う。

 

絆とか、家族愛とか、友情とか、とんでもなく強いメンタルとか。

とっても分かりやすい。

 

確かに描写は残酷と言えなくもないかもしれない。

だって、元々キッズアニメじゃないと僕は思っているし、

子供に見せるか見せないかなんて問題はどうでもいい。

 

この何ともシンプルで真っ直ぐ、突き抜けるようなバカ正直さ。

この魅力って、うーん、まぁ、時代をまたいで、
何年かに一度ドカンと流行る要素のような気がする。
 
それは勿論、社会的な不安感が大きく、人々の心や体、生活なんかが、
極端に制限されぎゅうぎゅうに萎縮させられてるこの時代だからこそ、
ってのもあるのかもしれない。
 
でも、そんなことは結局どうでもいいのだ。
そんな要素がこの映画の支持を集めた、なーんて考えることは、
少なくとも僕はしない。
 
じゃぁ、なんだ、って話も今更しても仕方がないよね。
 
煉獄さんの闘いは見事だった。
でも、ありきたりとも言えるし、当たり前とも言える。
そんな、「お前も鬼になれ!」なんて言葉に、
「よし、そうだな、オレも鬼になろう」なんて言って、
煉獄さんと猗窩座タッグに、炭治郎たちが挑む、
とかそういうの、どう考えても無茶だし。
 
そりゃそうだよね、こうなるよね、うんうん、
何故なのかもうだいたい予想つくし、あー、やっぱりそうなったか、
ウンウン、納得、でも涙が出ちゃう、あら不思議。
 
予定調和って、きっとただの王道ではない。
それはまだまだ色んな多くの可能性を秘めているのだ。
 
だから、なーんだ、っていう場合もあれば、
もう分かってるのに涙が出ちゃう、っていう場合もある。
 
最後に観衆を裏切るパターンの作品は、
ある意味、当然のごとくそれを期待して観に行く。
 
泣きに行きたい時もあれば、笑いたい時だってある。
意外性を求める時もあれば、予定調和を求める時もある。
 
 
うむ、今更だけど、盤を買うのか。
それは分からない。
 
もうタイタニックとかそういうレベルで売れ過ぎて、
中古の投げ売りや廉価版が始まったら買うかもしれない。
 
でも、なんか、近いうちに配信になるかもしれないし、
それで十分な気もするし・・・。
 
今は配信で何でも観れちゃうし、
盤を買って応援したい気持ちはあるんだけど、
なかなかね。
 
しかし、だいぶおさまってきたとは言え、すごかったね、
鬼滅祭り。
 
こんなことになるなんて全然予想してなかった。
 
そして次は果たして呪術廻戦なのか・・・、
いや、それはないと思う。