「アオハライド」 | 雑踏に紛れて

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風の吹くまま、雲の赴くまま、常に過ぎ行く刹那、
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日々の状態や思うがままの主観、

 

 

 

 

「アオハライド」

 

14話まであるらしいのだけれど・・12話までしか配信されていない・・・。

が、問題はない。

 

大体想像がつきそうなものだ、なーんて言ったら怒られそうだけど。

別冊マーガレットらしい。

うん、実は僕も少し読んだことがある。

 

超が3つくらいつきそうなベタな感じ。

でも、悪くない。

 

こういうのは批判しようと思えばいくらでもできるだろうと思う。

そしてそういうのをしたがるのは、

当たり前だけれど、こういう経験をしてこなかった寂しい人たち。

 

だって、こんなに有り触れててどこにでもありそうな、

しかも実にマンガらしい構成、展開、終焉。

 

僕は少なくともこんな作品、嫌いじゃないし、むしろ楽しい。

面白い、というのとはちょっと違う。

 

ちなみに実写の方には全く興味がないので悪しからず。

最近どうもこのアニメの実写化というのについていけない。

 

良さがすべて消え失せ、それはもう完全に別物として認識せねばならない。

それでいて実写版なりの良さが確立されていれば、

別に文句はないのだけれど、取り敢えず僕は今のところ興味を持てない。

 

いいとか悪いとか、以前にアレルギー反応があるのだろうと思う。

 

しかしだね、ここまで先の読める話と、

じれったさと気恥ずかしさが、猛攻撃をかけてくる作品って、

ちょっと貴重だと思うのだ。

 

多分、ターゲットは中学生?

高校生にもなると、既に気恥ずかしさの方が倍増するような気もする。

 

それを僕が観ているんだから、そりゃもう大変だ。

批判したい人たちの気持ちも分からんでもない。

まぁ、そういうやり方を僕は認めないけどね。

 

とにかくムズムズするくらいの青春学園恋愛ものとして、

これはもしかすると、そう言った分野の金字塔なのかもしれない。

 

それくらいある意味インパクトのあるものだと思う。

インパクトがなさ過ぎるインパクト。

 

まぁでも、日常系が大好きな僕からしても、

その昔流行った純粋な恋愛シミュレーションに似た、

この絶大なる力をもって全てをねじ伏せる絶対的王道ストーリーは、

めっちゃ強力なんだと思い知った。

 

爆発させたい気持ち、うん、リア充ってこういうのだよ。

だからみんなもしかすると、不快感みたいなちょっとこじらせた感じの、

感情をもってしまうのかもしれない。

 

だって、こんなに純粋無垢な高校生って、どうなの?

絶滅危惧種かもしれないじゃん笑

 

だからこそ、これは記念物として大切にしなければならない作品なのだ。

どうにもこうにも、捻くれて何かしらおかしくなってて、

しかもそれをある程度自覚しつつも直そうとしない、

そういう人間が跋扈する時代、とかく真っ直ぐなものを批判したい人間社会。

 

悲しいとは思わないか。

 

なんつって自分はどうなんだと、振り返ってみると、確かにそういう要素は、

否定できない。

 

でも自己弁護をするならば、僕はまだ、どんなものであれ一方的な批判はしない、

という立場にいる以上、受け入れる準備だけは整えておこうとはしているのだ。

 

だから他の大多数のスレた人間とは違う!なんて言いたいわけではない。

それはそれで構わないだろう。

僕はそれすら否定する気はないのだ。

 

だって、否定して何かいいことはあるんだろうか。

絶対悪みたいなものは、そりゃ存在する。

それは仕方がない。人が無数に存在し関係性を保った社会というのを形成しているのだ。

当たり前のことではある。

 

否定や批判を受けて良くなっていくものもあるだろう。

技術的な話もまた別。

 

そういうんじゃない、本当に芯となる部分って何なんだろうって、

思った時に僕はやっぱり作品を作った誰かの真意みたいなものを、

できればちゃんと僕なりの解釈ではあるけれど、汲み取りたいのだ。

 

あ・・・話がだいぶ逸れた。

 

よくあることなのであまり気にしない。

僕の文章なんて所詮そんなもんだ。

何も考えずに指の動くままに勝手にキーボードを叩いている。

 

話を戻そう。

 

アオハライドの話だ。

僕にはこういう青春時代という鮮やかで甘くてちょっと苦い、

そういうものが決定的に欠如している・・・と思っていた。

 

うん、最近までずっとそう思っていた。

・・・が、実はそうでもなかった。

 

思い出したのだろうか、もしかすると新たな妄想が始まったのかもしれない。

どっちでもいいのだけれど、このどうにも泣きそうなくらい懐かしい気持ち、

これはおそらく共有できる記憶や感覚、そういうものがあるからなのだろうと思う。

 

もしかしたら、自分が思い描いた理想の時代だったかもしれない。

夢にまで見た憧れだったかもしれない。

 

でもそれでもいいのだ。

琴線に触れるもの、それがちゃんとあった、ということに、

少なからず僕自身驚いていたりする。

 

つまりは抗えないほどの強くて真っ直ぐな気持ち。

答えはそれだったんだ。

 

本音というのは相当に気恥ずかしいものなのだ。

そこに辿り着いた。

 

そういう素直さ、

今本当に見なくなっちゃったね、

寂しいものがあるよ。

 

 

 

 

さて、残りの2話をどうやって観ようか・・・。

配信のレンタルでも探してみるか。

 

 

忘れたくない気持ち。

時々でいい、思い出せたなら・・・。