私達は光のエネルギー、
生命エネルギー、運動エネルギー、熱エネルギー、情報エネルギー
私達だけでなく物質はすべて情報のエネルギーであり
情報を発信している
赤色が赤く見えるのは 物質が弱い赤色という周波数の色を出していて
そこに可視光線をあてると、赤い波と赤い波がぶつかって跳ね返ってくる
だから赤く見える
それだけでなく私達は赤という情報を持っている、だから赤が見えるのだ
波と波 情報と情報が ぶつかったところに 赤色ができる
ラジオはラジオの電波が空間から飛んできて
そこに同じ周波数の電波をぶつけてあげると、その周波数の音を拾う
違う周波数をぶつければ違う電波が拾える
光と光をぶつけて、そこに事象、物質ができる、力が発生する。
熱エネルギーや運動エネルギーに変換することができる
ゲームのように、そこにそれがあるとは、実際にそこにそれがあるかどうかは、
あやふやなもので確かに情報はそこにあるのだから、
情報にアクセスすれば必ずそこにそれはある。
ラジオやテレビの周波数の様にアクセスする周波数で情報は全く違ったものとねなる。
人間の身体もアクセス周波数で得られる情報は全く違うものとなる
可視光
赤外線
X線
物質は観察していない時に存在しない、確率として存在していると言うのが量子力学である、
思えば叶うと言うのは、スピ系の人達の勝手な量子力学の判断であるが、彼等にはそういうアクセスがあり、彼らには、そういう世界が存在している、
物質は観察していない時に存在しない、確率として存在していると言うのは、世界は物質ではなく、情報として存在していると言うこと。特定の周波数でアクセスすると特定の情報が得られる。
神=サムシンググレイト=ソース を捉えてみよう
我々の持っている情報と 見ている視点(受容器)によって 神は様々なカタチとなる
イスラム教
キリスト教
仏教
神道
これらはすべて同じものだ
見ている周波数が違うのだ
皆同じ情報にアクセスして、それぞれ違う周波数なので違うものに見えるし、違うものだ。
イスラムやキリスト教は絶対的で 自由度が低い
仏教や神道はあやふやで 自由度が高い
よりソースに近いとも言える
神は情報としてそこにある、
しかし違う視点、違う周波数でそれそれが違った世界となる
パラレルワールドとはそれぞれの見方によって世界が違うというだけで
意識の数だけ世界はある、それだけのことだ