スピリチュアルに限らないのですが、カウンセリング、心理学にも言えることなのですが、問題を解決してあげよう、問題を解決して欲しいというのが、とても問題で。何故なら自分で問題を解決できなくなってしまうからです、依存し始める、、、、
宗教も教育も大切なのは人から与えられる「教え」ではなく自分で進む「道」ようするに理解と学習です。
問題を解決してあげる側が人のために、自分を犠牲にして日々起こる問題をどんどん解決して、そして感謝されそれを喜びにしている。人はどんどん依存してくる、、、、そして自分の周りに人が集まってくることに生き甲斐を持つ!
術者が信者に依存しているのです。共依存、、、、
それ間違っていますよ!
世のため人のため、
そんなの嘘っぱちのエゴなんです
また本当の正義で愛でもあるのです
どちらも正解で、、、、だから厄介なのです。
人の幸せを求めてそれが自分の幸せって、
依存しない人間にとってはとっても迷惑、、、
独立した人間にとって、
例えば親が子供の幸せのために生きていたら
自律した子供はとっても迷惑、、、、
成熟段階によって「愛」の形は違ってくる、、、、
愛は共依存の赤ちゃんと母親から
最後は結婚式でおめでとうを言う
手放す愛に変化していかなければいけません
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そろそろスピリチュアリズムのカリスマに
群がるのはやめて
自分のスピリット(魂)を追求する
自律したスピリチュアリズムを追求しはじめたら?
学ぶのはかまわないけど
自分が自分の道を追求するのです
何を追求したって、全ては同じ根っこ(魂)に
辿り着きます。
それこそが、独立した自律したスピリチュアリズムです。
自律分散がスピリチュアリズムでも求められている時代です。