私たちは もう一つの世界を持っている

これは 無意識 の世界

 

この世界は、夢であり、悟りの世界であり、変成意識であり、深い瞑想であり、ドラッグの世界であり、臨死で体験する世界であり、芸術の世界であり、神の世界であり、釈迦の世界であり、zoonの世界であり、ランニングハイの世界であり、コンサートで失神する世界であり、クンダリーニ覚醒の世界であり、タントラの世界であり、ヨガの行者の世界であり、空海の世界であり、修験道の世界であり、女性のオーガズムの世界であり、スピリチュアルの世界であり、様々な人が様々に捉えている世界、

私が私であるように 私の無意識は私だけの無意識であり、それらが 天国であるか地獄であるか その人次第であり。

天国でああっても 天女が舞っているのか 天使が舞っているのかは またそれぞれによって違う

 

なんらかの世界を我々は垣間見ることができて、でもそれが垣間見れる人たちが 素晴らしいわけでもなくって

 

例えばカルト宗教の教祖や信者はそれを見ているわけですよね、そして オーム真理教や あらゆるカルト施設で殺人や殺人未遂事件がおきたわけです。

 

 

宗教とはその集合的は共通意識の上になりたち、もう一つの世界は、その人たちの都合のよいように作り上げられていく

また現実世界も 自分達の 無意識の世界(作り上げられた価値観の世界)によって 解釈が書き換えられていってしまう。

 

 

そしてその共通無意識で 宗教観で人は殺し合う

神がキリストか アッラーかまた細かい宗派でも戦争や争いがおきている、カルトでは殺人がおきる

 

でも本当は見ているものは同じで、柔らかく、暖かく、優しく、美しい、キラキラとした、大きな 何か、、、、、

 

私達が感じているものは同じで、それを言語化したり音とかダンスとかで表現したり 映像化したりして 具現化する

 

でもその具現化って現実世界では支配を現す

スピリチュアルや宗教では具体的に 神の言葉が降りてきたりするわけで、また主体性を失い 神にすがり 導かれたいと思っている。

 

神とは 暖かい やわらかい 美しい 包み込んでくれる 何かにすぎないのに、その神を表現したもの(偶像)を絶対化して、支配してきたのが 歴史である。

 

私は スピリチュアルの人が 二極化とか 波動が高いとか低いとか言っているのが とても嫌いで

 

ただそういった 美しい世界が波動が高く 醜い世界が波動が低くて ってのはわかるんだけど、

 

でもスピリチュアルの人ががいっている 「波動が高い」って

その人が捉える、ただの一面でしょ? あなたの決めつけでしょ? ってことだとおもうんだよね、、、

 

美しい何か、、、

暖かい 柔らかい 気持ちよく 包まれるって

子宮の中だし、 母子や生命の誕生って美しいんだよね

 

また私達が持っている神経がそれを感じていて

それを感じる神経が 副交感神経で 

暖かい 柔らかいのは ファシアなんだよね、

 

ということは それを感じる何かって 自分であって 自分がその無意識であり その無意識は自律神経で

その自律神経が副交感神経優位であれば 

 

ただただ包まれ あったかい 安全安心の 気持ち良い世界=天国であり、 そこに交感神経が加わってくると 厳しい、ワクワクした、活性化した 不動明王のような世界であり

さらに 交感神経が活性化し副交感神経が働かなくなると

恐怖、不安の世界になる。餓鬼、地獄の世界

 

無意識の世界とは自律神経の世界であり またホルモンの世界である。 自律神経はバランスがとれ 副交感神経が活性化し筋肉がゆるみ ファシアが広がり 拡張し 副交感神経が腺組織に働きかけ ホルモンが分泌する。幸せホルモンが分泌され私達は幸せになる。

 

私達の身体の中に無意識があり それを感じることができる

状況が変わらなくても、キラキラした世界でなくても、無意識の世界でキラキラを感じたら、何気ない日常の生活がキラキラとしてくる。

 

ドラッグを使わなくても 何万人、何十万人が同意し賞賛しなくても、ただ内側の世界を整えて感じることができれば、そこは天国に変わる

 

自分のベースがどこにあるのか? 自分の無意識のベースが

幸せよりか 不幸せよりか

暖かいか  冷たいか

 

楽しい旅行の中で 吊り橋をわたった ある人にとってそれはとても景色の良い 気持ちの良い世界で でもある人にとってはそれは足がすくむ恐怖の世界で 吊り橋をゆらす人がいて それは本当に怖くても ベースが「楽しい」にあると その吊り橋を揺らされた思い出は 楽しい思い出であり。

 

 

ある人(Aさん)にとって楽しくない旅行の中で 吊り橋をわたった、ある人(Bさん)にとっては景色の良い 気持ちの良い世界で でもある人(Aさん)にとってはそれは足がすくむ恐怖の世界で ふざけて吊り橋をゆらす人(Bさん)がいて Aさんはそれは本当に怖くて、本当に恐怖だけの思い出であり Bさんに虐められた、と言って恨み 辛い思い出になるのです。

 

そのベースの 好ましい感覚を 感じることができたら、全てを楽しくすることができるのだけど、それは無意識であり

 

その無意識の感覚を磨いていく、暖かさ やわらかさ 美しさを感じる 

 

私達の環境は安心安全すぎて、それを感じられなくなってしまっている、だからといって危険を感じろということではなく、美しいもの 暖かいもの やわらかいもの 包み込まれる感覚を育てていけば いくらでも 美的感覚は育つ

 

強い刺激に支配されるのではなく、弱い刺激を感じて増幅していく

 

行きたい無意識の世界を 具体化することこそが

その人にとっての 現実の世界を創造することになる。

 

 

暖かい 柔らかい 調和した 包まれた 美しい世界

自分の世界 共有する世界 分け与える世界 

 

理想だからそれで良いのだ、現実が違っていてもそれは

現実の世界に変換されていく

 

違うからこそ探求しそこに行こうとする。

神は太陽であり 神は鏡である

自分にとっての美しい世界 そしてそれは内側にある

 

ただ筋肉を 柔らかく 暖かく 調和させていく 繋げていく

ただただ 撫でるだけ それを感じる 受容器を刺激し

神経を刺激し またその反応を感じる