反省をしない 自分を肯定するというと なんて身勝手な?
と思う、、、 私もそう思う
ただ それでも 反省をしない 自分を肯定していきましょう、、、
反省とは 自分を否定すること 「なんてダメなんだ」
ダメな自分を肯定していく で、、、、?
そう そこから何ができるのか?
反省しないということが 「礼」を尽くさないということではない
ちゃんと謝り 次に何をするかを考える
「反省していない」ということを声に出すことではない
ダメだから 何かをするのではなく
ダメだろうが 良い状態であろうが 今 何ができるのか? を考えていく
状況にとらわれない 状況に反応んしない
何か人に迷惑を与えたなら その人に何ができるのか?を考えること
行動することが優先だ!
それらは 問題ではなく 課題にすぎない 課題はどんどんと「試練」という形で
私達にふりかかってくる。
その試練に対応していくのだ、、、、
課題は克服すれば 課題ではなくなる。
荒波を無くすことはできないが 荒波を観察し やり過ごすことはできる
極寒地で 暖かく暮らすことは可能なのだ
自分で自分が嫌いでも 私はあなた(私)を肯定する、、、
子供が出来がわるかろうが 私はあなたを肯定する、、、、
病気や障害があっても 私はあなたを肯定する、、、、
それを独り言で良いので 口に出して言ってみる。
ピグマリオン効果というものがある
動物におけるピグマリオン効果
1963年ローゼンタールとフォードが大学で心理学の実験で、学生たちにネズミを使った迷路実験をさせるのに、ネズミを渡す際に、これはよく訓練された利巧な系統のネズミ、これはまったくのろまなネズミといって渡したところ、その二つのグループの間で実験結果に差異が見られた。前者のネズミを渡された学生たちは、ネズミを丁寧に扱い、後者のネズミを渡された学生たちは非常にぞんざいに扱い、その両者のネズミへの期待度の違いが実験結果に反映されたものとローゼンタールは考えた。そこで、これは教師と学生の間でもありうるのではないかと考えた。
という許可を与えるだけで 意識を与えるだけで 正規分布が 変わる
自己否定から前に進むのではなく 自己肯定から前に進む
自信を持つということとも違う 自信は「試練」によって 潰される。
肯定するということは 感情が打ちのめされていても 肯定すると 決めるということ
子供が犯罪を犯しても その子供を受け入れるということ ダメな結果だったとしてもそれを受け入れるということ
受け入れるということを 「決める」ことなのです。