さとうは もともと ヨーガであり仏教であった!

もともとが仏教や ヨーガから始まったという意味ではない




意識したわけではく 仏教やそのルーツのヨガを調べていくと

 

さとう式って ヨガや仏教と同じことを言っているというか

 

その共通点に驚き また 再認識になる。 

 

そもそも ヨガや仏教の教えと同じというか 同じものをみているというか

 

真理に近いものだと思う。


 

ヨーガとは 

サンスクリット語のヨーガ (योग) は、「牛馬にくびきをつけて車につなぐ」という意味の動詞 根√yuj(ユジュ)から派生した名詞で、「結びつける」という意味もある  Wikipediaより

そして仏教とは

智慧なんですね、 そしてそれは 全てが空(くう)であるということ

色即是空 空即是色なんです

 

仏教を勉強すればするほと さとう式との共通点があり 気付きがあります。

身体は空でできている そして空をひろげていく

スペースを広げていく  仏教でもヨガでも神道でも 場を整え 身体を整え 心を整えていきます。

 

そして 身体を整えるが 何故かストレッチや訓練になってしまっている。

収縮させるのではなく 拡張させることが大切

縮めるのではなく 広げるのである

 

さとう式は もともと筋肉をゆるめる瞑想法だったのだ、、、

天と地と繋がり 自分と繋がる 

 

呼吸を意識し 感覚(感覚受容器)を鋭敏にしていく=ファシアを広げていく 

 

ファシアは情報伝達器官であり アンテナでもある。

それらを広げていくことで 感覚を研ぎ澄ましていく  

 

余分な感情や意識が私達をくるしめている、

 

余分な感情や意識で  頭がいっぱいになってしまっている

 

 

この場合 意識が 不安という感情に占められている

 

不安が 不安な感覚 たとえば 胸を締め付けられる を呼び起こし

 

胸が締め付けられることで 胸が締め付けられたと言う 記憶が呼び起こされる

 

そして また不安になる。 その悪循環の中で 人は苦しんでいる

 

 

感覚を意識すれば 感覚は 意識によって呼び起こすことができる

 

光を想像し 光を感じ 暖かさを感じる 

 

普段 意識していない 空気の流れを感じる 筋肉の繋がりを感じる

 

それによって 感覚は変化していきます。 なかなか変化しなくても

 

ずっと観察していれば 感覚は 必ず変化していきます。 諸行無常です

そして感覚の変化はより良い方向に誘導することが可能なのです。

 

 

さとう式を 身体をゆるめる手段ではなく、綺麗になるための手段でもなく、また健康になるための手段ではなく

 

好ましい感覚をえるための目的にし また 素晴らしい感情は 感情としてではなく 感覚として身体に感じさせ

 

それを意識することで 頭の中(意識)の多くが 素晴らしい感覚に包まれます。

快の感覚を得るための目的になりうるのです。


苦しみとは いらない意識と 感情なのです。  痛みの感覚が 快楽になることも考えられる

 

「脳が 脊椎の反応をどう捉えるのか?」 によって 感情やその反応は 全く違ったものになる

 

不快な感覚を 脳からでる快の感覚で満たすことによって 感情や意識は 快で満たされることになる。

モルヒネやβエンドルフィンで 痛みの感覚は消えてなくなってしまう。


仏教では 苦しみから逃れることを 説いていますが さとう式では喜びを得られることろに

 

行きたいと思っています。