私は以前から怒りっぽい人間

 

仏教では 怒りは欲求からくるそうだ、

 

いわゆる 煩悩 

 

煩悩とは 悩み煩うこと

 

私達は なぜ 悩み煩うのか?

 

それは欲求が妨げられるから、、、、


遠くで殺人がおこるより 足を踏まれて謝らないほうが腹が立つのです

車がいたずらで傷つけられたほうが腹が立ちます。

 

 

正義で怒っているのではなく、損害を受けたから怒っている

 

人間は欲深い、、、その欲は 金銭よりも 承認欲求だ

損害は 「腹が立つこと」 腹をたてているのは自分なのにね、、、、

 

 

思い通りにならないことに腹をたてている

パソコンがフリーズして腹をたてる、、、、

 

 

そしてその欲求 煩悩は決して無くならない、 そしてその欲求があることは

 

愚かであはあるが 悪いことではない、、 人間は愚かである

 

 

 

愚かで可愛いのだ、、、いちいち機械を相手に腹をたてる

 

いちいち足を踏まれたって 腹をたてる

 

店員の対応が悪いと腹をたてる

 

 

腹をたてるのは損だとわかっていても 腹をたててしまう、、、

 

自分に腹をたてて 苦しむ、、、、 おいおい 楽しめよ!

 

でも こんなんじゃダメだって 自分を責める 相手を責める、、、、

 

 

煩悩に充ち満ちており 煩悩は無くならない 煩悩が無くなったら多分死ぬ

 

即身仏になる、、、

 

死にたくない、苦しみたくない、これも煩悩 悩み煩う それが原因で 患う、、、

 

煩悩があるから ストレスになる ストレスは除去できない、、、、

 

そして 相手と戦ったり 自分と戦ったり 煩悩と戦ったりする

 

 

怒りは 承認欲求によって起こる、、、、

 

認めて欲しい わかって欲しい 誰しもが 思うところである

 

しかし 認めるのも わかるのも 相手、、、、

 

自分ではない そんなことを求めても所詮無理な話

 

それをなんとかしようとして 必死になって 相手と話す

 

そして わかってもらえない相手を攻撃する

 

何故わかってくれないの? 相手はバカなのか? 極悪人なのか? 鈍感なんか?

 

それとも非情なのか? 

 

男と女でもわかりあえない 他人だとわかりあえない 育ちが違うからわかりあえない

 

世代が違うから、人種が違うから、言葉が違うから、文化が違うから、宗教が違うから

 

わかりあえない

 

男同士ても 女同士でも 身内でも 育ちが同じでも 同世代でも 同じ言葉 同じ民族

 

同じ文化 同じ宗教でも  わかりあえないものはわかりあえない、、、

 

 

わかり合っている部分があるだけで わかり合えていると思っていることが勘違いなのだ

 

わかりあっていることこそが 奇跡であり 有難い(有ることが困難なこと)ことである。

 

 

人は滑稽である、だから 美しく 可愛らしく 悲しく 苦しく 喜ばしく 楽しく 嬉しい

 

これらは私が捉えた仏教の教え 正しいも正しくないも無く

 

ただ人間は 愚かで 尊い  憎らしく可愛らしい 陰陽である。

 

 

悲しみや苦しみ 痛みや不安 怒りや あらゆる欲望に捕われている