お釈迦様は ブッタですが 名前は  ガウタマ=シッダールタ

 

仏とは 悟りを開いた人 ようするに 心理と繋がった人

 

で 彼の教えは 五蘊から離れるということ、

 

物質 感覚 感情 行動 思考 この5つによって できている

 

物質と 非物質(感覚 感情 行動 思考)にとらわれている

 

物質にとらわれ 感覚にとらわれ 感情にとらわれ 動きにとらわれ 思考にとらわれている

 

この執着から 離れるということ。

 

 

 

五蘊(ごうん、: pañca-kkhandha[1](パンチャッカンダ)、: पञ्च स्कन्ध, pañca-skandha[2](パンチャ・スカンダ))とは、仏教において、蘊・蘊・蘊・蘊・蘊の総称

wekipediaより

 

 

 

お釈迦さんが瞑想に入った時に 観自在菩薩が 現れて シャーリープトラに語りかけるのが

 

般若心経です。

 

シャーリープトラよ! 一切はみな 空(くう)なんだよ!

 

五蘊は空である 

 

 

 

菩薩 の意味は  仏道を成就させようとする行者(ぎょうじゃ)。ということになる。

 

菩薩は人間ではないのに行者なんだ

 

でブッタは 悟りを開いた人   ブッタは 人間なのに 悟りを開いている。

 

 

釈迦>菩薩

 

釈迦>シャーリプトラ

 

 

ブッタは自分のハイヤーセルフと自分が一体になっている

 

そして シャーリープトラは 自分のハイヤーセルフ(菩薩)と一体となっていない

 

 

釈迦が深い瞑想に入り シャーリープトラが 瞑想に入った時に  自分のハイヤーセルフがあらわれて

 

自分に説いた 

 

そして こともあろうに 釈迦の教えとは違う  五蘊にとらわれないのではなく 五蘊が空であることを

 

説き始めたわけです。

 

 

五蘊が空なんだよ そうすれば一切の苦しみや厄介なことを受け渡すことができるんだよ!

 

 

色即是空 空即是色 

 

色は物質 物質は 空なんだよ 空は物質なんだお

 

私たちの体は器なのです 中が空(から)になっている それが活動していることが私である

 

そして 私は 内側からみれば精神など非物質なんだけど 私は物質でできている

 

 

家は 物質であるが 中は空(から)なんですね 実態は空間なんです

 

ところがただの空間は家ではない 壁と天井と床があって 部屋でありその集まりが家である

 

 

全ての 物質は 空間であり 空間が物質である

 

 

原子は陽子の振動 と 電子の振動でできており これらは 波であり空間であり

 

そして そのなみと空間振動エネルギーが 原子という物質である

 

 

お釈迦さんの言う悟りの道 仏道とは少し違う解釈を 

 

シャーリーのハイヤーセルフである菩薩がシャーリーに説いている 

 

 

 

五蘊が空である

 

物質 感覚 感情 行動 思考 が空であることを知れば 一切の苦しみを受け渡すことができる

 

 

 

感覚が 空であること 

 

さとう式でいえば 感覚がファシアを通じて 感じるこということ ファシアが受容器であるということ

 

そしてファシアが 物質ではなく空間であり 情報を伝え 感覚を伝えていく

 

 

感情が空であること

 

スペースができる 余地ができることによって 心に余裕ができる

 

 

そして 行動が空であること

 

力学的に 空の移動圧力で 力が加わる ファシアの動きで力がでている

 

 

 

思考が空であること

 

空に意識を向ける 物質ではなく 空を捉えていく

 

 

 

これによって 人は 苦しみを受け渡す 苦しみから逃れるのではなく

 

苦しみを受け渡す  苦しみを消し去るのではなく 苦しみが解放されるのだ 

 

 

苦しみとは閉じていること その 想い 思考 体の感覚 行動 を解放していく

 

 

 

 

 

 

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