ただただ綺麗にする、ただただケアをする

 

私達が 身体を撫でるのは お祓い リンパが流れるのが禊 

 

祓いたまえ 清めたまえ 

 

 

 

 

さとう式で一番簡単なのな? 撫でるだけかな? 片手バンザイかな? 足指ワイワイかな?

 

理論を学ぶ、、、、 知的に攻める!

 

ケアをしていく、、、動的に攻める!

 

どちらでも良いのです。

 

両方していく、なんでも良いのです。

 

あなたが綺麗になると決めたら あなたは綺麗になれる 

 

あなたがそこに行くと決めたら そこに行ける。 条件が整ったからそこに行くのではなく

 

そこに行くために動き始めると 条件は整ってくる ただそこに行くと決められないから

 

条件は整わない、 そして整えていくのは 条件ではなく

 

身体と場 意識を整えていく

 

 

いらないものを  断つ 

いらないものを  捨てる

いらないものから 離れる

 

 

 

それはものではなく 心 意識 場 

 

そこに身体を当てはめてみる いらない力を抜く いらない刺激を取る いらない概念から離れる

 

力を入れる 流す 揉む 引っ張る 鍛える 全て不要

 

必要だと思っている 事 物 心 そこから離れることさえできれば 私達は解放されていく

 

でも でも でも、、、、 

 

こだわりを捨てることなんてできない、、、、

 

捨てることができない こだわりを もう一度見直してみる

 

やっぱりできない、、、もう一度見直してみる

 

やっぱりできない、、、もう一度見直してみる

 

そうだよね 今はできないよね、、、、

 

ということは 今でなければ できるわけだ、、、、

 

今できない自分は ダメじゃない、

 

将来できる自分は とっても素敵なのね 

 

できる自分を想像してみる 

 

できる自分を創造していく

 

 

 

 

 

 

答えを求めない、結果を求めない、、、、

 

力を抜くことができない、 捨てることができない、 こだわりから離れることができない

 

それはダメじゃない、できないと感じることが大切、、、いつかできると感じることが大切、、、、

 

 

 

 

答えがでるのは 今じゃないから 

 

答えは出ないかもしれない

 

答えは出なくて良い、、、答えを出さない、 

 

今捨てられないものを そっと 包んで 大切に 後ろ側か 横にそっとおいておく

 

視界に入らないくらいのところにね! 

 

 

ただただ 離れられるものを

 

とり除いて行けば良いのだ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 


チューラパンタカ(周利槃特・しゅりはんどく) 

釈尊(お釈迦さま)が、生きておられた時の話です。
インド北部に、2人の兄弟がおりました。
兄はとても賢くて、釈尊の教えをよく理解し、深く仏教に帰依していました。
弟の名は、周利槃特。
ものを覚えるのがたいへん苦手で、自分の名前すらも覚えられず、
いつも人から笑われていました。
兄は、弟を心配し、釈尊から聞いた教えを短い詩にまとめて、
なんとか弟に覚えさせようとしますが、
朝には覚えられたと思っても、昼にはもうごちゃごちゃになってしまうのです。
あるとき兄は、弟を励まそうとして、
「自分の道は自分で探しなさい」と突き放しました。
それを聞いた周利槃特は、自分の愚かさに涙を流しながら途方にくれてしまいました。

それをごらんになっていた釈尊が言いました。
「自分が愚かであることに気づいている人は、智慧ある人なのです。
愚かであるのに自分はかしこいと思っている人こそ、本当の愚か者なのです。」
そして、周利槃特に1本のほうきを渡して、
「ちりを払わん、あかを除かん」
と、掃除をしながら唱えなさいと教えられました。
こんなに短い言葉でしたが、友人たちに助けられながら、どうにかこうにか、
来る日も来る日も唱え続けました。
自分の道は自分で探さなけらばという必死の思いと、
ちりを払う、あかを除くという釈尊の教えとが重なって、
だんだんと、周利槃特の心の中で、問いが熟していきました。

そうだ、ちりやあかとは、私の執着の心。
そうだ、丸っぽ私はちりなのだ、丸っぽ私はあかなのだ。
そうだ、私は今から、仏の眼をいただいて生きていこう。

古いお経を読むと、周利槃特は天眼を得たと書かれてあります。
つまり、彼はさとりを得たのです。
仏の眼(仏の教え)を疑いなく受け入れて、
仏の眼に依って生きていこうという曇りない決意こそ、
はっきりと澄んだ、朗らかなさとりの味わいだったのです。
周利槃特は、さとりを得て、賢くなったのではありませんでした。
ましてや、仏法を教える側の先生になったのでもありませんでした。
彼は、仏法に教えられながら、教えをわが両眼として、
一生涯を生きていく人となったのでした。

誰よりも愚かだった周利槃特がさとりを得たことに、周囲が驚いていると、
釈尊が静かに言いました。
「さとりには、多くのことを学ばなければいけないというのではないのです。
ほんの短い教えの言葉であっても、その言葉の本当の意味を理解し、
道を求めていくならば、さとることができるのです。」

仏の教えは、どんな人にも、等しく、広く、開かれています。
ほんの短い言葉でもかまわないのです。教えを聞いていきましょう。

  (文責・一哉  参考・『ブッダと親鸞』東本願寺出版、『仏弟子の告白』岩波文庫)

 

 

チューラパンタかは レレレのおじさんの モデル、、、、

 

ただただ掃除をする  それだけで 悟った!

 

 

 

 

清めたまえ 祓いたまえ これは神道の祝詞(のりと)

 

清められていること、 お祓いされていることが 大切なのではなく

 

清めること お祓いすることが 大切なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸

2019-06-27(木) 09:00~10:00  さとう式リンパケア 無料講習会・神戸

https://lymphcare.org/event-detail.php?id=96880

 

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2019-06-27(木) 13:30~16:00  さとう式リンパケア 筋をゆるめる基礎講座・神戸

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2019-06-28(金) 09:00~10:00  さとう式リンパケア 無料講習会・神戸

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2019-06-28(金) 10:00~12:30   さとう式リンパケア 初級講座・神戸

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2019-06-28(金) 14:00~18:00   さとう式リンパケア 上級講座・神戸

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2019-06-28(金) 18:00~19:30  和らぎ瞑想会・神戸

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