さとう式と同じもの 断捨離 神道 アドラー モンテッソーリ 斉藤公子保育 カタカムナ  日本、、、、

 

 

腔が 九であり 球であり 宮である じゃんけんのグーであっても 球であったり腔であったりするのね!

 

文字は意味を表す それが縄文時代以前にあったといわれるカタカムナ 文明

 

 

 

私達は 同じものをみて 私達ができる解釈をしている

 

同じことを言っている いや 同じものを見ていて違うことを言っている、、

 

 

 

確かにそこに 何かあるのだ、 確実にそれを 感じている

 

それは物質ではなく 心でもなく 非物質と物質の 間(はざま)

 

その 物質と非物質を結びつける

 

 

多くの人はそれを感じることができない、 物質世界には存在しないものだからだ

 

非物質世界のもの しかし 物質世界は 非物質世界に影響を受けている

 

物質が変化を起こす。みなさんはその物質の変化だけを見ることができる

 

 

 

断捨離では 物を捨てて 間を広げていく 物と間のバランスをとっていく

 

さとう式では 腔をひろげ 間(スペース)広げていく 実質(物)と実質(間)のバランスをとっていく

 

 

神道では 中空構造 中心をもたない 宮(ぐう)の中に命(ミコト)がいる

 

さとう式では 中空構造 筒状構造 中心をもたない 腔(くう)が内宮(心臓)と外宮(肺)が振動して 命となっている

 

 

アドラーでは 承認欲求を認めない、ダンスするように生きる(今を楽しむ、今集中し成長する)

 

茶華道、合気道などでは 試合がない(優劣を決めない) 稽古する(今に照らす、今集中し成長する)

 

練習や訓練は成果(承認)をもとめ 現在を犠牲にして結果を求める。

 

 

 

モンテッソーリでは子供達に好きな時期にやりたいことをさせるようにする

 

子供がティッシュを出してしまうのは 屈筋の使い方を稽古している

 

水を汲み こぼす動作 雑巾を絞る動作は 屈筋の使い方の 稽古(未来のためではなく今集中し成長すること)

 

であり 集中 成長を楽しむことである これはアドラーのダンスするように生きるのと同じだ

 

 

さとう式では 屈筋を使った身体の動かし方をする 屈筋を押し上げる

 

身体を筒にして 筋肉の束を筒にして 細胞を筒にして 筒を膨らませる(腔を広げる)

 

 

斎藤公子保育では 爬虫類ハイハイをする これも屈筋を押し出す 稽古になる

 

私達は屈筋ラインというのがあり 手の母指球と 足の母趾球を 顎(耳)から遠ざける(押し出す)動きをする

 

空手の動き 合気道の動き 爬虫類ハイハイの動き モンテッソーリの動き さとう式の動き

 

古来日本の飛脚 武士 商人 能 狂言 なんばの動きは 全て さとう式と同じ動きなのだ

 

筋肉 屈筋を拡張させ 押し出す動きであると 共通する

 

 

心屋の損しても良い、、、、 物質に捕らわれない  

 

エイブラハム ワクワクの方向に進む(非物質を大切にする)

 

バシャール 心地よいことをしなさい(非物質を大切にする)

 

 

柔術(やわらのすべ) 和らげる術  間(非物質)を大切にする

 

 

カタカムナ では  一首(一番はじめに) カタカムナ ヒビキマノスベシ

 

カタカムナ 響き間の術し と書いてあります

 

さとう式は 間を大切にするものであり ケア方法であり 間質を広げていく間の術でもあります。

 

断捨離も同じですね、、、

 

日本の文化も同じです。

 

そして日本の古来の文化そのものがさとう式と共通しています。

 

身体が筒 着物が着崩れない 身体を捻らない 

 

支持筋は屈筋  古来の人たちの身体の動かし方

 

筋肉をゆるめる 和らげる 和の世界

 

料理では 味をつけるのではなく ぬめりや臭みや灰汁を抜いていく 引き算の考え方

 

断捨離では 空間を増やす 建物を増やすのではなく 余分な物を捨てていく 引き算の考え方

 

さとう式では 押したり 揉んだり 引っ張ったり 圧力を加えるのではなく 圧を抜いていく 引き算の考え方

 

無の境地 無我

 

天孫降臨の三つの勅使(天皇になるための儀式)では 

 

鏡(カガミ)をみて 我(ガ)を抜きなさい すると神(カミ)になる といっている

 

さとう式でも武術でも 我を抜き 相手と繋がり 無我になることを稽古していきます。

 

鏡を見るということは 自分を整えるということ さとう式は自分を 自分の実質と間質のバランスを

 

整えていくケア、腔を整え バランスをとっていく

 

 

 

そして 天孫降臨の三つの勅使の一つは 米を育てよ!と言っている

 

さとう式で 大切としているのは セロトニン活性 材料はトリプトファンであり

 

トリプトファンがセロトニンに変わるには トリプトファン比(トリプトファンのほかのアミノ酸に対する割合)が

 

大きい食事の代表が米 そして 大豆 芋 など日本食

 

セロトニンホルモンが 静寂の幸せホルモン 成長と集中のクールなホルモンだ、、、、

 

 

 

 

 

 

 

そして 身体の代謝を上げていくのは さとう式の 物理的な循環改善 と

 

筋肉が働くための カルシウムとマグネシウムの割合 これが良くなると代謝がよくなる

 

そして 筋肉がゆるむためにはマグネシウムが必要であり マグネシウムは 

 

大豆 海苔などの海藻類 魚や にがりに含まれている 日本食である。

 

 

さとう式で開発した靴下は 意図したわけでないのに 足袋の形で 草鞋の構造が入っている

 

 

 

 

なんということなんでしょう?それぞれには意味がある、、、、

 

私達は 統合に向かっている 私達の先にある 答えは 同じものなのです。

 

非物質は物質の影響を受け 物質は非物質の影響をうける

 

思考は物質の影響を受け(現実世界) 物質は思考によって存在する(量子力学)

 

 

量子の世界は 存在するが 存在していない そして 物質(粒子)と非物質(波動)の間(はざま)にある

 

さとう式も  腔の理論であり 実質によって 間質をつくっている そして 物質とその振動(波動)の間にある

 

 

同じものを見ている 同じものを感じている

 

見えないものを 見えているものだけで 説明していく

 

見えないものの証明、 結果でしか証明ができない、、、、

 

結果をみて 心地よい方向を探す

 

非物質が 物質に影響を与えるのだ、、、

 

物質世界が変化を起こしていく あくまでもそれを起こしているのは非物質

 

さとう式でいえば 間質だ、

 

スピリチュアルであれば 思考、、、、

 

響き 共振 触れる 振れる 拡張と収縮 振れ幅 繋がり 広がり 拡張していく

 

さとう式は スピリチュアルではなく あくまでも物質世界の話

 

量子力学のようなもの、、、、

 

現実世界の話なのだ 実際の物理の話だ

 

 

さとう式も物質世界で 物質を対象としている 

 

小顔になり 骨が動き 循環が良くなり 力が出るようになる 痛みが消えてなくなり

 

バランスが良くなり スタイルが良くなり 振れ幅が大きくなっていく

 

呼吸が深くなり 循環が良くなり 元気になっていく

 

気がつくと問題は消えて無くなっているのだ、

 

ただ身体が心が 心地よい方向へ行く それを感じるのだ

 

 

意識が 身体 物質に 影響を与え始める

 

身体と心 物質と非物質がバランスうを失う

 

心と身体の調和を失い

 

身体も心も崩れていく、、、

 

 

間質と実質を整え 身体を整えていく 

 

地と天の 間の人  人間 

 

人間を整えていく

 

 

身体を整えよう、 身体の間質を整えよう!

 

それがさとう式リンパケア です。