今流行の アドラー心理学です。

アドラーはもう半世紀も前に こんな新しい考え方をしています。

普通は 褒めて育てよう! ってのが当たり前ですよね




私は 叱っても 褒めても良いと思うのです。

アドラーは 叱るのも 褒めるのも 自分のエゴで

その人をコントロールする作用だと言っています。




親のエゴで 自分の価値観を刷り込んでいく それに

いっしょう苦しめられるわけです。



正しい 悪い 刷り込み 人を裁く

心屋さんは 何が凄いかって 正しい 悪い で判断しないことです。



正しい 悪いは 国によって 宗教によって  民族によって 個人によって違っている

その正しいがぶつかり合うと 個人でも 民族によっても 国によっても

争いごとがおき 殺し合いがおきる



戦争は 人殺しは 正しいか 正しくないか  それは悲しいこと

死刑は 悲しいことなのです。 


人殺しが悪いことであれば  国は死刑をやめるべきですよね~

悲しいこととして継続していくのか やめるのか 正しい悪いじゃなく

どう判断していくのかそれが問題です。




いじめはするほうも されるほうも 「あの人が悪い」 からはじまるわけです

両者が正しく 両者が悪い   だから悲しいこと

悲しいことはやめましょう。


人は人をコントロールしようとしてしまう。

コントロールするのではなく 自分をコントロールできるように

していく必要があります。



子供を強制するのではなく 促す 

筋肉を強制するのではなく 促す

流れを強制するのではなく 促す



叱っても 叱らなくても  

褒めても 褒めなくても  自分で自分がコントロールできるようにしていく


私は 叱るより 怒ります

他人の子供でも 怒って 注意します それはムカつくから

新幹線で走るクソガキには 「走るな!」


すると子供は怯えて 静かになります。

飛行機の中でも「うるさい!」と注意したことがあります。

親が注意できないなら 他人が注意するしかありません。

親が注意できないのに 親を注意しても何も良くならない

しかし子供は違います。


公共の場で さわいでいると おっかないオヤジに怒られるかもしれない

ことを 知らせる必要があります。


それは他人がムカつくことだと わかると思うのです。




叱っても良い 褒めてもよい

ただ他人をコントロールしようとしてはいけない

そうではなく 自分をコントロールして 他人に影響を与えるように

ならなくてはいけない!



子供に「勉強しろ」と言ってはいけない

自分が 勉強する時間をつくって そこに打ち込む

今からでも遅くはない 


そして その時間そばでダラダラ遊んでいるのであれば しばく!

なにか打ち込めるものを自分で探す

人をコントロールしない

自分を整えていく 自分が自由になる


捕われや 正義や 悪から解放される

人の目を気にしない



自分がむかついたら 怒る もっと自由になろう!

しかし感情に支配されない 


自分を整えよう 子供に注意できる自分をつくる

子供に注意できる大人を築く



半世紀も前に新しい考えを唱えた人がいる

その考え方は今 共感され 共振し 広がりつつあります。



世の中の常識とは違う  甲野先生もアドラーも心屋さんも

ここまでメジャーになっても まだまだ 世の中の考え方とは

違うのかもしれない


しかし 私達は 全く新しい考え方 アプローチで

幸せになれるのです。


日本人の凄いところは  茶道 華道 武術と 静寂の空間の美で

整えるということをずっとやり続けてきたことです。


私達日本人は 正義を振りかざさない

戦後日本人は日本の素晴しいところをずっと捨て続けてきた

ところが やはりDNAに組み込まれているのだ


私達は ゴミを拾い 人に優しく 自分を整えるという文化をもっている

力ではなく コントロールしていく

それを取り戻そう