先日携帯のニュースでフジコ・ヘミングウェイさんが亡くなったと知った
特筆して語るほどファンだったといえるような立場ではないが、彼女のピアノが好きだった
CDを数枚持っているくらいで、生の演奏は聞いたことがないけれど
たぶん多くの人が知ったあるテレビ番組を見て、そのピアノの音に惹かれたのが最初だった
自分は小さいころピアノを習っていたけれど、そんなに頑張って通ったわけでもなく、才能もなく、今も楽譜が読めるというほどでもなく、子犬のワルツも弾けないが、好きな楽器の音色はギターとピアノで、仕事を引退したらまたピアノ教室に通いたいと思うくらいには好きなのだ
フジコ・ヘミングウェイさんは膵臓がんで亡くなったそうだ
3月に診断され、4月後半に亡くなった
まだたくさんのコンサートの予定があったようで、本当に残念だ
波乱万丈といえる人生、感動的なピアノの音色、おしゃれな姿を私の記憶に残した
魂の安らかなることをお祈りしています
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さて、そのニュースを見て驚いたことがある
フジコ・ヘミングウェイさんの追悼にのせて、報告するのはどうかと思うが、書こうか書くまいか、迷っていた思いをつづることにした
実は、姉が2月の末に同じく膵臓がんと診断され、4月の初頭に亡くなった
診断されてからひと月程度という同じスパンで、同じがんで亡くなったのだ
姉はおなかの具合が悪いのが続くと思って病院に行って、数日後検査入院をしてそのまま家には戻れなかった
痛いのや苦しいのは嫌いな人だったので、闘病が長くなかったのはよかったと思うしかない
まだ姉の確定診断の前、腹水がたまっていると聞いた後、ネットで調べると怖い病気の名前が出てきた
その時はそれでもまだ治る可能性を信じていた
病院にお見舞いに行ったのは診断結果が出て1週間たったころか、だいぶ痩せていて声がかすれていた
その病院は1日15分という面会時間しかなかった
内容はおなかの調子が悪いな、って思ったころからの経緯みたいなことが主で、もっと違う、いつものようなくだらない話でもいいから、いろんな話をすればよかったと後悔している
15分の面会時間が過ぎたころ、もう時間だ、というと「最後くらい無制限でお喋りしたかった」という姉の言葉が忘れられない
又来るから、と別れたあとに病室に入るまで見届けたのが、歩く姉の最後の姿だったろうか
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ひと月は、本当に短い
姉の場合、がんと診断された時の余命は半年だった
もう少し時間があると思っていた
診断よりもずっと短かった
びっくりする勢いで痩せ、薬の影響で二人きりでのはっきりしたお喋りは、結局あれが最後になったと思う
心情を語るわけではなく、報告のようになりましたが、今はここまでしか書けません
多くの後悔があるわけではありません
ただ、何が悲しいって、本当にたわいもないことを話したり、昔のことを確認しあったりする相手がいないこと
最後に、本当に「お悔やみの言葉は不要です」
もしコメントされる方がいらしたら、普通に話しかけるようにコメントして下さい
だって、お悔やみ言われた後の返しができないのです