先日「片付けしてたら出てきたから」と母が木綿の着物をくれた。“普段着”である。
「あんたは良く着るから」とも言ってくれたが、最近は“とんとご無沙汰”であった。たまたま前回着た時に会ったからそう言うのであろう。

もらった木綿↑
一目見て「あぁ!!なつかしい!」と声が出る。昔母が着ていた柄だと思ったから。
しかし、嫁入りの際に着物を何枚か持ってくるくらいの時代ではあったが、常に着物を着ていたわけでも無かろうに、なぜかこの柄はものすごく“母が着ていた柄”という懐かしい記憶。
なにかの記憶と混同しているのかもしれない。
それでも、母の着物をもらい、普段着着物が増えるのが嬉しい。しかも懐かしい柄であるのは更に。
ただ、大事にしようと思うより先に、自分が使うとすぐボロけてしまうだろうから惜しいな、と思ってしまった。B型だもの(笑)。
 
私には一人姉がいる。彼女は着付け教室に通って習ったことがある。卒業式に自前の着物で(袴ではなく振袖で)参加したくらい着物は嫌いではないと思うのだが、普段着物は着ない。
何かの時も着ないだろう。友人も少なく子供もいないので“何かの時”という機会自体が私より少なかろう。
私は、しかし、子供関係で着物を着たのはお宮参りくらいだった。なので、何かの時は私も着ないだろう。
結局普段、着物を着るかどうか、と言う事に限れば、嫌いじゃないはずの姉は着ないが、私は気が向けば着る、と言う事。
 
普段着、というのがポイント。
私が普段着物というのを最初に考えたのはいつか忘れたが、『昔は普段着だったんだよな』という考えがあった。現代だって着物で生活できるはずなんだが…と、人とちょっと違う感じが好きというのが前提にあるのかもしれないが、そんな風に思った…
それが先か、本を読んだのが先か忘れたが、共感した本がきくちいまさんの『着物で出産!』という本。着物のエッセイはこれが初めてだった。すでに出産経験があったので、「着物で!すごい!でも…すごく良い」とそのすごさを実感。尊敬と共感と感動をしたためたファンレターを超絶久々に書いたら、返事がきたので驚いたものだった。
共感は、普段着物を着ている、というところだった気がする。(ほぼ忘れているw)
あぁ普段着として着物生活している人がいるんだ、やっぱりできるんだなぁ…と自分を肯定された気がしたのだ。
 
ただ、20歳代くらい(とか結婚前)からしてれば、そういう人なんだと受け入れてくれるであろう周りの人間も、あるとき急に着物着だすおばさんには、何かに影響されたんだろう、と冷たい目線があったりするかもしれない。
着物好きでなければあまり理解を示さないことも多く。私の周りの女性は受け入れるだろうが、男性の反応はイマイチで大っぴらにいつでも好きほどは着たいと思えない。少し悲しい現実。
もっと早くに普段着着物に開眼していればなぁ…と思ったり思わなかったり。
 
そして、おしゃれ着物にはあまりそそられないのは、結局洋服と一緒なんだよな、と今気付いた。
普段着もしくは通勤着を買うとき、どれくらい着心地が良いか丈夫か洗濯に耐えるかが最重要ポイントで、次点に着回しがきくか自分の好みの色やデザインか、が入ってくるw
 
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懐かしい着物の柄から徒然に、長々書いてしまった。
ほぼ日記。
再見