日本半周旅!
64日目!!!
島根県は津和野の「若さぎの宿」で
お世話になっただらお
朝食はAM6:30でお願いしました
もうひと夫婦朝食準備がされちたけれど、7時過ぎにした模様
ひとりのんびりと朝食を取ることに
朝からガッツリとした朝食を取り・・・・
コーヒーブレイクで過ごしてから旅立つことにします
今日は山口県のキャンプ場を目指すことにしましたので
先を急ぐ必要はありません・・・
津和野駅の裏手にあるお寺に寄ってから先に進むことにします
味のある駅「乃わつ」
「津和野八十八ケ所 第4番霊場大師堂」
そのお寺の裏の坂を登って行く
明治の初めに弾圧を受けたキリシタン殉教者を追悼するため
昭和26年に建てられた「マリア聖堂」
また、聖母マリアが降臨された地ともいわれている場所です。
聖堂の中にあるステンドグラスには殉教者の精神を偲ぶ様子が描かれ、
マリア像なども建てられています。
そんなマリア聖堂の敷地内にあるちょっと不思議な電話ボックス
受話器が2つあり
一緒に受話器をとった男女は結ばれるといわれています
峠でもないのに、なぜ「乙女峠」なんでしょうか?
実は、島根県出身で、長崎に投下された原爆が原因で亡くなった
医学博士永井隆氏の絶筆『乙女峠』が由来と言われています。
『乙女峠』は、慶応3(1867)年「浦上四番崩れ」と呼ばれる
キリシタン弾圧事件で、津和野に配流されたキリシタン
「守山甚三郎等」の物語です
現在は跡形もありませんが、弾圧があった当時
そこには廃寺となった光琳寺がありました。
この光琳寺がキリシタンの収容施設となりました。
浦上四番崩れで弾圧され、流罪になったキリシタンは
およそ3400人と言われています。
信徒の中心人物を最初は114名、津和野、萩、福山に
移送されることが決まりました。
配流はその後も続き、鹿児島や名古屋など20カ所が
流刑地に選ばれました。
最終的に津和野へは153名が流刑されたのです。
キリシタンたちは、流刑地で厳しい拷問を受けました。
津和野に流刑されたキリシタンのうち37名が命を落としました。
そんな悲しい歴史があるとは、「乙女峠」という愛らしい
名前からは想像がつきませんね・・。
という説明があります
江戸幕府はとんでもないことをしてくれる・・・
さて、この「乙女峠マリア聖堂」を見て・・・
神聖な気持ちになっただらおは・・・進みます
山道をひた走る
「萩市」は明治維新を学ぶために4年前にひとり
レンタカー旅に来ました。
なので、今回はスルーします
その当時の記事はココ
山口県の千畳敷高原へやってきた
レンタカー旅をしたときにもこの辺りに来ましたが・・・
この高原は訪れなかった。
萩へと急ぐ為でした
日本海を臨む素敵な高原が広がっています
ここが今日の宿泊先です
連泊をしたい気持ちMAXです
テントの設営を終えて、レンタカー旅の時に立ち寄った
「元乃隅神社」
にやってきた
キャンプ場からはバイクで20分程の距離です
日本海の青と鳥居の赤のコントラストが素敵です
稲荷神社ですね・・・
穏やかな日本海・・・
コロナ渦ということもあり、駐車場は空いていました
さて、今夜の買い物をして、キャンプ場?高原に併設する
カフェでビールを飲み始める
PM4:00
テントに戻り・・・
火を起こすことにしました
高原に来る観光客は多いですが、キャンプをするのは・・・
今のところ、だらお一人です
奮発しました
キャンプ時のお酒のアテは「シュウマイ」に限る
蒸すだけだからね・・・
レタスもくっつかないように準備します
「ほりにし」の万能スパイスをかけて・・・
(あまりニンニクが得意ではないので、これは・・・)
野菜が少ないのは・・・だらお流
さて、焼くよ
霜降り和牛だから軽めに焼きます
いい具合に蒸されたシュウマイ・・・
火もいい感じです
焼き進めます
高原から見る夜景は素敵
遅れて小さい子がいる家族がテントを張ってる
2張りなんですが
赤ちゃんの泣き声に悩まされる
漁火です
イカですかね???
さて、明日は・・・本州最後の1日です