新作歌舞伎『FINAL FANTASY X 』参 | D-DST

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独り言。

新作歌舞伎『 FINAL FANTASY X  』


※観劇は一度のみ(3月下旬)、

暫くプライベートも立込む為(もうすぐ落ち着きそう!)、配信復習ももう少し先になりそう(長期の配信期間、ありがたや。あと少し!)なので、

見落とし見間違い(←?)あるかと思いますが悪しからず。


ジェクト戦の演出、表現、そして召喚獣戦。

特にこの二つの場面は、この度の歌舞伎化、舞台化の意義が、より効果を成していたと思います。


ゲームというシステム上はどうしても「バトル」にしかなり得なかった場面が、

歌舞伎になることで、歌舞伎役者さん方の鍛錬された表現力、身体能力で演じられた事で、

真の意味(←私なりの解釈にすぎませんが)がダイレクトに伝わりました…。


何度も申し上げている様に、当時私はFFXのストーリーはあまり心に響かず好きではありませんでしたが、

ジェクト戦での親子の物語、語らいの様な立ち回りには、
観劇では先ず泣くことはなかったのですが、決壊してしまいました。


ティーダ子供時代が間に入るなんて卑怯だ、響かない訳がない。


余談ですが、心理学の分野では、
男子が父親にある意味敵視(?)に近い感情を抱いたり、父親を越えようとするのは、

男子として、人間として成長してゆく過程の為のポテンシャルだそうで(その関連事項に所謂マザーコンプレックスも関係してくるとか、何故か我が国では嫌悪感しか持たれないアレですが。)、

殊、伝統芸能という分野で生活していらっしゃる菊さん(歌舞伎役者)にとっては、父親は父親である以前に師でもあり、
ご自身も父親、師であり、


この様な表現、演出のジェクト戦の意図には、
本作品の中でも特に並々ならぬ思い入れがあるのではないかと推し量りました。

菊さん、ギリシア劇も経てらっしゃいますしオレステス(←神話オタクの立場からの見解)。



召喚獣戦は特に色彩も美しく圧巻でデザインも実に秀逸で、

ティーダたち全員で祈り、舞踊、という、

見事な「歌舞伎化」でもあり、シナリオの的確な表現でもあり。


そうなんだよなあ、ココは、召喚獣の祈り子たちを送る場面なのだよな、と。

(しかしエボンジュはエボンジュのまんまだったな、当時拍子抜けしたけれど、アレ、デザインもう少しどうにかならんかったんかと。
まあ、でもそういうトコロも含めてエボンジュなのだな、と、まさに「負の遺産の象徴」的な(エボン・ジュの「ジュ」とは「呪」らしい。恐!気持悪!)
パパ(←パパ言うな)による威厳たっぷりアテレコという高待遇でしたが。)



夫「召喚獣って、アレだけやったっけ?」

私「アレプラスメーガス、とアニマ。が入手できたけど、全部出す必要はなかったかも。アレで丁度良いんじゃない?」

という観劇後談議がありましたが。


丁度パーティーメンバーと同数で、立廻りもいい感じ(←語彙力…)でしたし、

確か召喚獣の能力はパーティーメンバーとシンクロしているという、なんかそんな設定があった記憶。


祈りの歌の歌詞も、後編で元の歌詞?が歌われるシーンがありましたが。


私がゲームプレイ中に傍らに置いていたのがアルティマニアΩで、

Ωは正直、進行にはさほど役には立たないが、
制作に於ける設定秘話だとか、かなりマニアックな内容が載っていて。
ゲーム内容云々抜きに、純粋に読み物としても面白く。

上記しました、祈りの歌の歌詞や召喚獣の能力の話などもこのΩで読んだ記憶
(攻略本類は結婚前に実家へ置いて来てしまった…ので、もう処分されていることでしょう)。

ということは恐らく制作側もΩ読破されていると。


他にも、

結婚式へ突撃タイトロープアクションでは、
ルールーはハイヒールを履いている設定なので、キマリがお姫様抱っこしている、というトコロが結構好きだったのですが。

ココも忠実で震えました。

…あれ、撮影されていたのはティーダとアーロンだけだったのかな(焦)。

彦さまが梅枝丈を姫抱っこの図…と信じて疑っていないのだが。
配信で要確認。


ドーナツは売り切れ(涙)、ドリンクは辛うじて入手。